N-901
世界初の機動部隊を作りながら戦艦と大口径砲の呪縛から解き放たれなかった海軍の宿命。無敵連合艦隊の幻想、現実無視の独善主義、首脳部の無定見―敗れるべくして敗れた海軍の実現。
……こうした海軍の体質は、そう簡単に分析することはできないが、まず「武をもって国家に仕える海軍が、戦争はできないなどというのはおかしい」という考え方がある。これは、名分とかタテマエにやかましい日本人特有の島国根性の一つといえよう。さらに重要なことは、責任のがれを念頭においていたことである。〈本書より〉
N-902
愛するがゆえに内面の葛藤にゆれつつも、いとしき人への愛の絆をたちきり、祖国の未来に殉じた若き学徒兵の赤裸々な肉声!
……
俺の言葉に泣いた奴が一人 俺を恨んでいる奴が一人 それでも本当に 俺を忘れないでいてくれる奴が一人 俺が死んだらくちなしの花を 飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人……。〈本書 より〉
N-903
一九三〇年ロンドン海軍条約以降、日本海軍は技術を結集した重巡洋艦を建造、連合艦隊の中核戦力とした。しかし開戦後、米国の強大な海空戦力の前に、わが重巡部隊は消耗戦を強いられていく……。海戦の矢面に立ち、死闘の海から生還した司令官、下士官兵たちの赤裸々な手記により、戦いの実相がここに明かされる。
N-904
太平洋戦争の最後の一年間だけ活躍した高性能爆撃機「銀河」―急降下爆撃と雷撃能力を合わせ持ち、戦闘機の追撃を振りきる速力を与えられた万能機。空技廠が戦時下の苛酷な状況下に生み出した不世出の名機の全貌を綴る感動のノンフィクション。サイパンB29基地爆撃行、沖縄特攻、梓隊など銀河の航跡を描く。 ※N-268の新装版
N-905
吃水が残く、構造物の巨大な異形の小艦の重大な任務とは! 河川の哨戒、陸兵の援護や輸送などを担い、時として外交の場となった砲艦―日本海軍の特異な艦種4艦の実態を写真と図版で詳解する。
……消滅したはずの砲艦という艦種は、再び出現した。しかもその姿はおよそ軍艦というイメージにはそぐわない姿で誕生したのだ。そしてその用途も大河の哨戒ばかりでなく、陸上砲撃を主体とした陸兵援護や陸兵を輸送する手段、また時には局地的な外交交渉を行う場としても活用する特異な艦として登場したのである。〈本書 より〉
N-906
本土上空に彩られた非情の戦い!大戦末期、足摺岬上空で集合するB29に対し、肉迫攻撃を挑んだ、陸軍戦闘機パイロットたちの航跡。
……「飛燕」の機体はいくつか撃ち抜かれていたが、伍長はきづいていない。パイロットは、目標の補足と機の操作、そして照準と射撃に集中されていた。敵弾の曳光が機の上下両脇を飛び散っていくなかを突進するとき、思わず目をつぶるのであるはないか、との問いに、伍長は「いや、カッと見開いたままだ」と言うのである。〈本書 より〉
N-907
荒れ狂う「鉄の暴風」の下で、「軍服を着た教育者」として尊敬され、いまも元生徒たちに慕われる配属将校の生と死。戦死率73%。悲劇の中学生隊を指揮、凄惨な地上戦のただ中で、最後まで人として歩むべき道を示し続けた若き陸軍篠原中尉と十代の生徒たちの命の絆を描く感動の物語。
スラッとした長身、役者にしても良いような美男子――その容姿で一中全生徒の憧れの的となった篠原中尉。しかも素晴らしいのは姿、形だけではなかった……。少しも威張らず、奥ゆかしく、荒れ狂う『鉄の暴風』の下で、「軍服を着た教育者」として尊敬を集め、いまも元生徒たちに慕われる異色の配属将校の生と死。
N-908
海軍将兵の健康をささえ、艦隊勤務に潤いをあたえた海軍料理―烹炊作業、調理システム、糧食搭載・保管方法、烹炊員の生活等を詳細に綴り、海軍の食文化を明らかにする。質素、簡素、合理性を旨としてきた伝統的な海軍料理は、いかに変遷をかさね海軍グルメとなったのか。軽妙洒脱に描いた海軍式スマート料理学。
N-909
昭和二十一年一月、陸軍は疲弊した市民を根こそぎ召集する百五十万の動員計画を立て、艦隊なき海軍は三千機の航空機を温存した――二十年秋の九州南部につづいて、関東への進攻が予想された本土上陸戦に、陸海軍は、いかにその戦備を整えていたのか。全国民を組織化させる未曾有の“決号作戦”の全容をえがく。 ※N-308の新装版
N-910
宣伝省の中に政府がある…。全てのメディアを掌握した、プロパガンダの怪物の正体!15000人の職員を擁した世界最初にして、最大の『国民啓蒙宣伝省』――ヒトラー、ナチ幹部、国防軍、そして市民を従属させたその全貌を描く。
……ゲッペルスは総統伝説を創造するためにナチ党が行なう集団的示威行動(パレード)を利用していたが、国民感情を操作してゆくには巨大な集会がより効果的であるとしていた。こうした集会は一般に夜の八時以降に行なわれたが、これは人々の抵抗心が減退して説得に対してもっとも効果的な時間帯だったからである。(本書より) →新装版(N-1276)アリ
N-911
高射砲弾の炸裂音と無気味な爆音、そして空腹と栄養不足の集団生活。戦時下に暮らした子供たちの戦い!
……「いま、東京の空が真っ赤に染まっているのがみえますよ!」――子供たちは、一斉に外に飛び出した。東南方向に山並みが黒く見渡せるが、その辺りの空が、真っ暗な夜空の中に真っ赤に染まっているのだ。その真下にある東京が今ものすごい火事で燃えているのだと思うと、心臓がドキドキするほど心配になってきた。(本書 より)
N-912
日本の行く末を憂え、老骨に鞭をうって太平洋戦争終結に全精魂を傾けた気骨の男を描く人物伝――日清日露の最前線で戦って武勲をあげ、水雷戦の権威となり、またロンドン海軍軍縮条約調印を支持し、過激派青年将校たちの標的と捉えられ、二・二六事件において危うく一命をとりとめた“運の強い男”の素顔をつづる。
N-913
九六艦戦・零戦・紫電・紫電改・雷電・月光・烈風・震電・秋水……。愛機とともに生死紙一重の空中戦を生き抜いた海軍戦闘機搭乗員の証言!
長駆渡洋攻撃を敢行し戦果をあげた零戦、夜間戦闘に活躍した月光、本土空襲に飛来する米B29編隊と艦載機を果敢に迎撃した紫電・紫電改・雷電。海軍戦闘機隊は苦しい鍛錬に耐え、肉体と精神の極限といえる空戦に臨んだ。常に勝利を期して大空に舞い、熾烈なる死闘の末に生還した搭乗員たちの生々しい実戦体験の記録。
N-914
大正三年、世界最強力の超ド級巡洋戦艦「金剛」型二番艦として誕生し、列国海軍垂涎の的となり、その後の日本戦艦群の建造に大きな影響をあたえた「比叡」――軍縮条約の荒波を凌ぎ、練習艦で雌伏の時を過ごし、近代化改装をへて第一線艦として蘇る。大平洋戦争を最もよく戦った戦艦の波瀾の航跡を描いた軍艦戦記。 ※N-345の新装版
N-915
陸海軍の戦闘機のパイロットは、敵機と切り結ぶのが役目で、つねに死傷と隣り合わせでいる。一瞬一瞬の判断と反応が生死を分け、機敏即応の操作が、相手を倒し味方を救う。彼らが任務を遂行する操縦席は妥協が許されないメカニズムで構成され、非情の空間と呼ぶに相応しい。
N-916
囮艦隊旗艦の役目を果たし、一機の搭載機も持たず、万斛の恨みとある種の満足感をはらんで、フィリピン東方の太平洋に巨体を沈めた空母「瑞鶴」―海軍兵学校に学び、艦爆の搭乗員として「瑞鶴」を知る著者が、艦長以下、士官、下士官、そして兵たちの悲憤の涙の思いを込めて、その息遣いまでを伝える感動の空母物語。
N-917
昭和十九年秋、南洋パラオ諸島の二つの島が玉砕した。アンガウル島のわずか数十人の生き残りの一人で戦後パラオに移住、戦友の慰霊に半生を投じている元陸軍兵と、ペリリュー島で終戦の翌々年まで二年以上戦闘を続けた元海軍兵―二人の証言を軸に一万一千人が玉砕した想像を絶する戦いを描くノンフィクション。
N-918
みずからも特攻を志願すること二度、志叶わず、特攻隊員を養成し、選抜・出撃させるという、苦渋の役割を担った葛藤懊悩の日々―。いくたびか危機に直面しながらも、一度も艦を損じることなく死地を脱してきた歴戦の潜水艦長にして人間魚雷「回天」基地指揮官。糟糠の妻の赤裸々な回想。勇者の真実を綴る感動作。
N-919
自己の命をはかない境遇にさらしながら将兵の命を保全する―現役軍人として国家に滅私する責務を担い、そしてまた医者として、その重い務めを自らに課す。連合軍側が『世界で最も頑強な戦い』と驚嘆するニューギニアの最前線において若き軍医は圧倒的な力と対峙して、何を成し得たか。感動のノンフィクション。 ※N-387の新装版
N-920
戦時下、東条体制の恐るべき強権! 陸大出身のエリート軍人による、最前線を無視した適材適所とは……。総人口の10%もの兵員動員可能数に達していながら、統率する将校の絶対数が足りなかったという、長期的な人事計画を持たずに大戦争に乗り出した昭和の日本陸軍。本土決戦にも影響を及ぼした複雑怪奇な“陸軍人事”を解明する。
N-921
昭和20年6月、「沖縄県民斯ク戦ヘリ…」の無電を残して自決した大田實海軍中将。戦後、海上自衛官として父の最期の地に赴任し、湾岸戦争後のペルシャ湾機雷掃海部隊を率いた息子・落合畯。人命尊重主義と武人としての矜持を貫き、沖縄に足跡を残した海の父子の伝統と誇りを伝える感動作。
N-922
昭和16年12月8日、日米決戦の火蓋は切られた……。はたして、この奇襲攻撃は「騙し討ち」だったのか!? 綿密周到な取材をかさね、膨大な史料を駆使して日米双方の視点から「パールハーバー攻撃」の全容を多角的かつ壮大なスケールで再現したノンフィクション。丹念に描かれた戦闘の詳細により、いま明らかになる歴史の真実。
N-923
発射弾数4260発、激闘3ヵ月半。山砲2門を擁して死闘を展開した砲兵中隊長・大島正彦。兵を慈しむは我が子のようであり、部下の個性と能力を最大限に活かし自らも兵士らに支えられて戦い抜いた、この指揮官にして弱兵なし。砲兵の編成、装備、訓練、補給、戦場生活、陣地構築から息詰まる戦闘の一挙手一投足まで縷々活写した希有の戦記。
N-924
昭和18年秋、落日のソロモン最前線を舞台に乗員ペア3名が一致協力、出撃すれば生還の保証なき零式水偵を駆った。夜間爆撃に敵中突破長距離索敵行と、制空権なき大空で死闘をくり広げた海軍水上機隊。フロート付き機体を操る予科練パイロットが、若き情熱を抱いて祖国のために飛び続けた水偵搭乗員たちの激戦と苦悩の日々を描いた真実の記録。 ※N-246の新装版
N-925
航空機の搭載、水中の高速航行、陸兵戦力と物資の島嶼への輸送…。日本とドイツの両海軍は運用目的に合わせて最も有効な各種潜水艦の開発に挑んだ。これら特殊潜水艦を網羅し、建造の基本要目と設計内容を多くの写真と図面により詳細に解説した貴重な一冊。
N-926
日本が列強と肩を並べる要因ともなった日露戦争の勝利。世界最強と謳われた帝政ロシアとの戦いは、苛酷な様相を呈する苦戦の連続であった。太平洋戦争の激戦地アンガウルから奇跡の生還を成し得た著者が、日本人が初めて体験した近代戦であり、戦死傷5万9千人にものぼった旅順攻略戦を描く。
N-927
女優・高峰秀子の夫であり、生涯で1000本近い脚本を書いた名シナリオライターが初めて著わした戦争小説、待望の復刊。特攻機搭乗員の夫、その出撃を知り岩手から遙か鹿児島の基地へと馳せた新妻の決断。他に同じく太平洋戦争末期、フィリピンで、そして中国大陸で、戦争に翻弄された男女の運命を鮮烈に描いた作品全3編を収載。
N-928
「四国沖に敵機動部隊北上中」との情報で、昭和20年8月16日に下された出撃命令。若者たちは敗戦の翌日になぜ出撃せねばならなかったのか。震洋艇大爆発の惨劇はなぜ起こったのか……。トラックのエンジンを装着し艇首に250キロの炸薬を搭載したベニヤ製特攻ボート、震洋と共にあった青年兵士たちの思いをつむぎ、深い闇に迫る特攻秘史。
N-929
村田少佐は魚雷を抱いていつも先頭を飛んだ。部下たちは一蓮托生のつながりを喜び、一直線となって彼に続いた! 実戦において勇猛果敢な“海軍魂”を極限まで発揮した村田重治は、悠々として大言壮語せず、上官におもねらず、部下を軽視せず、信頼と敬愛を一身に集めたという。34歳で南太平洋に散った若き雷撃隊長の生涯を克明に追う。
N-930
人間の歴史は闘争の歴史である。その英知は戦術の中に結晶しており、戦術は戦いに勝つための示唆に満ちている。指揮官の役割、戦闘力、状況判断、情報、兵站――軍隊を運用し勝利を獲得するための基礎理論は、平時の企業経営にも通じる。本書は、時代と国を超えて存在する勝つための「戦術学」を、元陸自最強部隊指揮官が解説したガイドブック。
N-931
日本の近代化と勃興、その端的な表われが日露戦争における日本海海戦の勝利だった。戦術の公算、確率は全能ではない。確率の捉え得ないところに、艦や指揮官の運命が複合的に働き、その結果は神のみが知るところである。日本海海戦で東郷の信念が神の心を動かしたとしたら……。独立自尊、自尊自重の象徴、戦艦「三笠」の変遷から戦後の復元までを描いたドキュメント。
N-932
海軍偵察隊の任務は、単機で遙か洋上の敵地に侵入し、その最期を見届ける者もない非情なものである。偵察の成果は海戦の勝敗を決し、搭乗員には航法や通信をはじめ高度な技術と判断力が要求された。本書は、九四式水偵、零式水偵、二式水偵、彗星、彩雲と乗り継ぎ、敵制空権下6千キロの挺身偵察をも成し遂げて帰還したベテラン偵察員の実戦記。 →新装版(N-1172)アリ
N-933
食糧・武器・弾薬は底をつき、後方支援も皆無。弊衣をまとって山を越え河を渡り彷徨する前線の陸軍歩兵第五十八連隊。「私は生死の間を彷徨い戦没者の意志によって生かされているもの」と、味方兵士のために東奔西走した若き主計士官だった著者が、生還直後に戦場の惨状を記録した異色のビルマ戦記。
N-934
将たるもの、部下に対し、いかに処すべきか……。戦犯の罪を課せられた部下たちを思い、巣鴨拘置所から彼らの服役するニューギニアのマヌス島に赴き禁固10年に服した64歳の陸軍大将・今村均。ジャワ、ラバウルに栄光をしるし、現地民衆からも敬慕され、常に日本軍将兵の心の拠り所として慕われた“人情将軍”の魂の軌跡をたどる感動作。 ※N-376の新装版
N-935
1922年の軍縮条約で規制を受けながらも、航空母艦は英米日で異色の急速発展を遂げた。これに対し、保有を認められながらもフランスとイタリアは海軍航空に対する認識、敗財政難など、ドイツは戦条約による制限によって、第二次大戦開戦前後に1隻あるいは全く空母を保有していなかった。これら空母を持たぬ海軍の建造構想を辿った異色の開発史。
N-936
マラッカ海峡で海賊による商船の被害が報告されるようになって久しい20XX年、海上自衛隊を同海域に派遣する特別措置法案が成立した。護衛艦「ふゆづき」艦長・亀山晋悟二佐は勇壮な決意を秘めて出動する。海賊と対峙した自衛隊は任務を全うしうるのか。海に生きる男たちの矜持を胸に奮闘する隊員たちの姿を描く、近未来フィクション。
N-937
連合軍の熾烈な総反攻により本土からの補給を断たれ、孤立を余儀なくされたニューギニアの日本軍。敵の執拗な攻撃と餓え、荒れ狂う魔のヤカチ河との戦い、悪疫の地を彷徨しなければならなかった兵たちの吐露する痛恨の心情! 玉砕か生還か……、シンガポールからニューギニア戦まで、運命の波に翻弄された通信隊将校の描いた過酷なる戦争体験。
N-938
連日の激闘の中でも常に明るさと部下への思いやりを忘れず、戦後もなお旧部下から慕われ続けた海軍大尉・宮野善治郎。貧しくも誠実な家庭に育った少年が海軍兵学校を経て戦闘機乗りとなり、昭和18年6月16日、二〇四空飛行隊長としてルンガ沖航空戦で散るまで、全力で生き抜いた27年の生涯と戦闘機隊指揮官としての戦いの実相を克明に描写!
N-939
最前線の“赤ひげ軍医”診療物語! 砲煙弾雨にも負けず――最前線に倒れし者あれば、赤い十字のカバンを片手に馳せ参じ、ベッドの中で熱病に苦しむ者あれば、不眠不休で看病する。予防衛生、兵食管理、野戦救護と戦場のまっただ中で奮闘する「軍医ドノ」の日々をイラストを交えて描いたエッセイ。 ※N-184の新装版
N-940
砲火を交えることなく敵艦破壊の任務をおびた敷設艦、最前線基地において一つの海軍工廠と同じ能力を発揮した工作艦、艦隊に伴って燃料補給に奔走した給油艦、傷病兵の治療や輸送に不可欠であった病院船。これら砲煙弾雨の表舞台に立たずして日本海軍の中で極めて重要な任務についた特異な艦船群を、写真と図面で詳細に解説。
N-941
昭和初期の疲弊した農村の状況、政党・財閥・特権階級の腐敗と堕落…。血盟団事件の決行者は私憤でもなければ腹いせでもない「公憤」であった。「昭和維新」を叫んだ暗殺者たち対する一般大衆の評価は次第に高まり、「世直し」待望論にまで発展。後の五・一五事件、二・二六事件、そして太平洋戦争へと続く道の嚆矢となった事件の詳細を記述する。
N-942
一億総特攻のさきがけとなってもらいたい――連合艦隊参謀長のひと言で、伊藤中将率いる十隻、搭乗員七千名の運命が決した。海軍きっての俊秀として米国駐在武官・海軍中枢の要職を歴任した伊藤提督は、自らも、また麾下幕僚・艦長らも反対した勝算のない海上特攻作戦に赴き、なぜ「大和」と運命を共にすることを選んだのか……。その真情に迫る!
N-943
沈没した軽巡洋艦「名取」の生き残った乗組員は短艇に乗り移り、先任将校の指揮のもと600キロを漕ぎ進み見事生還した。「名取短艇隊員百数十名が生還したこの記録を読めば、負けいくさの中にも、美しく立派な、後世に誇るべき場面があったことを、誰しも納得するだろう」と阿川弘之氏が評した『先任将校』。本書はその乗員たちの人間模様を描いた感動の続編。
N-944
「大和」「陸奥」「加賀」「瑞鶴」……日本海軍の象徴たる戦艦、機動部隊の主役たる空母。その乗組員として苛烈な戦闘を体験した一国民の父や兄たち。彼ら名もなき兵が、血と汗、怒りと悲しみに満ちあふれた戦場で生きた証し、心の叫びを吐露する衝撃の体験手記。月刊誌『丸』が20数年にわたって連載した長編戦記原稿3万枚から厳選した歴史の証言集。
N-945
戦闘機や爆撃機をはじめとする攻撃用機は射撃、爆撃、雷撃などのための照準器(陸軍では照準具)を備えている。正確な照準は命中と破壊をもたらし、敵戦力の消耗が戦局の好転につながる。いかほどの雄大な戦略、巧妙な戦術を抱こうとも、戦場における個々の具体的戦果が伴わなくては画餅でしかない。設計者・生産者・整備関係者、そして搭乗員はこの攻撃の一瞬のために存在した!
N-946
駆逐艦であれば一隻喪失という文字の陰には、乗員250人もの真剣な努力と魂の燃焼がある。飛行機消耗5機であれば5人から35人の若い生命の奔騰があり、御守り札と千人針を持たせてくれた家族の祈りも及ばぬところでの彼らの死があるのだ。戦艦「比叡」副砲射撃指揮所、空母「瑞鳳」飛行甲板、夜戦、駆逐艦艦橋……それぞれの場における勇敢で崇高な無名戦士の姿を描く感動の記録。
N-947
戦術には智謀も必要であるが、むしろタイミングがより重要なファクターとなる。また、戦術はそれを編み出す者の人格に大きく左右されるものだけに、参謀の人選はきわめて重要である。窮地にあっても戦機をとらえ、奇蹟ともいえる作戦で難局を打開した指揮官・参謀13人の発想と決断。生死を賭した戦場の中で、指揮官や参謀が持つ不思議で宿命的な「運」の作用について、具体例にとらえた異色作。
N-948
日中戦争から太平洋戦争、そして本土防空へ……、戦局の変化とともに日本陸軍は九五戦、九七戦、隼、単座・鍾馗、複座・屠龍、飛燕、疾風、五式戦と、つぎつぎに新鋭戦闘機を投入した。大陸や南方の敵地攻撃、また祖国防衛のために、愛機の可能性を極限まで活かし、体当たりも辞さぬ気概をもって戦った陸軍ファイターたち19名の空戦実体験を描く。
N-949
太平洋戦争中、日本海軍は連合軍潜水艦56隻を沈めた。海上輸送路が寸断された過酷な状況下にありながら、欧米に比べ弱体とされる対潜戦において、水中聴音機と探信儀を駆使して海面下の敵をとらえた水上艦艇ほか、日本海軍と米英蘭各国の潜水艦との熾烈な戦いと勝利のすべてを年代順に網羅した海戦記。
N-950
小銃、火砲、戦車、戦闘機などが戦場の表舞台に立つ兵器とすれば、兵士たちを陰で支えた舞台裏の兵器も存在した――。大陸や南方の大河を想定した渡河器材、迅速に塹壕を掘削する工兵車両、観測機、戦場には不可欠なレントゲン医療車。ベーカリーや日本独自の野戦炊事車など、陸軍のユニークな“異色兵器”を写真と図で詳解!
N-951
海軍大将加藤友三郎とは何者であったのか。八八艦隊建造の推進派でありながら、1921年からのワシントン会議において、強力な統率力と決断力をもって軍縮の重い扉を押し開いたその先見性とは…。進むことを知り、かつ退くことも受け入れる柔軟性に富み、「日本の誠意」と謳われた男の足跡を辿り、近代の象徴といえる提督の気概を描く渾身の人物伝。
N-952
太平洋戦争の転機となったミッドウェー海戦で三空母炎上後、ただ一隻残った空母「飛龍」を率い敢然と米艦隊に反撃し、すさまじい闘魂を見せた闘将・山口多聞。米国駐在武官時代に山本五十六の薫陶を受けた国際派にして、部下に慕われ家族に愛情を注ぎ、乗艦とともに沈んだ提督の知られざる50年の生涯を、資料・証言・家族に残した手紙などから生き生きと描く。
N-953
ジャワ、ビルマで敵空軍を震撼させた陸軍飛行第六四戦隊戦隊長・加藤建夫。チーム戦闘に徹し、常に自分よりも部下を、自隊より僚隊を思いやり、先頭に立って困難な任務に立ち向かい陸軍航空部隊の至宝といわれた名指揮官の日々を、身近に仕えた部下が克明に書き残した空戦記。
N-954
日本海軍が空母四隻喪失という未曾有の痛手を被ったミッドウェー海戦。信じられない戦いの中で、各司令官、艦長、飛行機搭乗員、水兵はいかに対処し行動したのか…。“運命の5分間”の戦慄の時を迎えた空母「加賀」「蒼龍」乗組員や伊号潜水艦長ほか、それぞれの目で見た壮絶な戦場体験を赤裸々に綴った手記29篇を収載。 ※N-249の新装版 →新装解説版(N-1267)アリ
N-955
列強の海軍艦艇兵力の中核的存在として、1860年前後から約100年の歴史につちかわれた戦艦。当時、海上に浮かぶ最大最強の武器を搭載した船として、戦艦の保有数は、その国力を表わす指針でもあった。日本軍艦の軍艦デザイナー平賀譲をはじめ、各国に存在した巨大戦艦計画を辿る異色の戦艦史。
N-956
国民の命と糧を守るため、命令があれば自衛官は、敢えて危険な任務を遂行する。20XX年――マラッカ海峡を通過する日本の自動車運搬船は、武装海賊集団に乗っ取られた。海峡付近の治安を担った海上自衛隊水上艦艇の特別班は、一刻の猶予なく決断して、日頃の訓練の成果を発揮する。海の男たちの近未来の物語。
N-957
「海の秋山、陸の松川」と並び称され、「日露戦争とはクロパトキンと松川の戦いであった」と、日本陸軍きっての鬼才を讃えられた松川敏胤。日露戦争を勝利に導いた不世出の軍師の見事な生涯を、異能の経済人である著者が流麗な筆さばきで描いた感動の明治人物伝。
N-958
7400キロの航続距離を誇り、全幅38・全長27メートルもの巨大飛行艇「二式大艇」は、空中巡洋艦と呼ぶに相応しい世界一の性能を誇り、搭乗員たちの団結のもと、夜間爆撃・制圧、索敵・哨戒、補給など多くの作戦任務において知られざる戦果をあげた。零式小型水偵搭乗員も含め、単機出撃後その最期を見届ける者のない飛行艇搭乗員たちが、その実戦体験記を克明につづる。
N-959
圧倒的な米軍を前に、無意味なる全滅が果たして“忠国愛国”か否かと心の内奥に持ちつづけた若き少尉は、玉砕戦に殉じて二階級特進しながらも、その栄誉を剥奪され、死の真相までもが闇から葬り去られた。少尉がひきいた九人の切込隊の驚異的な戦闘と孤島戦に秘められた悲劇の真実を描く感動のドキュメント。 ※N-257の新装版
N-960
不利な状況下にありながら実戦投入され、大きな効果をもたらした輸送艦。艦隊の集結地などへの補給という重要な役割を担った給糧艦。海軍艦艇の作戦展開に不可欠であった測量艦。航空作戦の強化、砲撃の命中精度向上のために運用された標的艦。これら海軍の特別任務艦艇や陸軍の特殊船を写真と図版で詳細に解説。
N-961
遺書を託して前線に消えた戦友13人。敗戦による飢餓とインフレ時代、幾年もかけて戦友の最期の手紙を配達する元兵士が見た戦争の爪痕。西山民次の心に燃え続けた怒りの炎は、著者のなかにも燃えていた。テレビドラマ化、映画化もされ、「戦争体験の風化に抵抗する作品」と評された、戦争を知らない世代へのメッセージ。
N-962
参謀本部、軍令部、大本営とは? 関東軍、南方軍、支那派遣軍とは? また、師団、参謀とは? 聯合艦隊、鎮守府、艦政本部、航空本部とは? 陸海空及び軍事技術開発など、日本の軍隊各組織の成り立ちから歴史、運用の実態、編成、学校、教育、人事ほか難解な用語に至るまで、711万人の大所帯・帝国陸海軍のすべてを図表を駆使して詳細かつ平易に解説。現代人が軍隊を知るためのミリタリーものしり大百科。
N-963
昭和18年9月、海軍兵学校卒業と同時に竣工直前の最新鋭軽巡「矢矧」に乗艦、太平洋戦争後半の三大海戦に参加し、常に艦橋に立ち続けて連合艦隊の最期を目撃した池田武邦。戦後、霞ヶ関ビルほか超高層ビルやハウステンボスの設計に活躍した半生を振り返り、「矢矧」沈没後の人生は余生という建築家が封印を解いて語った苛烈な戦場体験。
N-964
日米最後の決戦場・沖縄──死闘3ヵ月、住民をも巻き込み、日米あわせて20万もの死者を出した戦闘の実相を描きつつ、戦火のもとで苦悩する沖縄防衛軍司令官の人間像を綴る。精鋭師団抽出による戦力弱体化のなかで、決戦か持久かに揺れる三十二軍を担い、人知の限りを尽くして事に望んだ牛島中将の悲壮な決意とその素顔を描く。
N-965
平成6年の現代から昭和17年の戦時下に突如タイムスリップした海上自衛隊の潜水艦「あらしお」は、聯合艦隊直率艦となりミッドウェー海戦に参加、そして……。現代の潜水艦に乗り組んだ海軍下士官とともに乗員たちはいかに米機動部隊と戦うのか。現実の制約と空想のダイナミズムにより導き出される、“太平洋戦争の転換点”ミッドウェー海戦の真実。
N-966
昭和17年11月、陸軍獣医学校を首席卒業した若き獣医中尉は、ガダルカナル島攻防戦渦中のラバウルに赴任した。集結した軍馬3,000頭余、その飼育と衛生管理を担った26歳の青年将校が奮闘したソロモン最前線の日々。獣医の視点から見つめたラバウル籠城戦5年間の戦場体験記。
N-967
日米決戦の大空を駆けめぐる日を夢見た16歳の青春。海軍航空の中核として常に最前線で熾烈な空戦をくりひろげた“海の若鷲”たちはいかに鍛えられ、巣立っていったのか……。あふれる闘志を胸に抱き、血潮を湧かした予科練生活。大戦末、搭乗する機もない予科練習生たちが特攻要員となる日までを描いた、少年兵たちのイラスト・エッセイ集。
N-968
日中戦争から太平洋戦争前半にかけて敵を圧倒した96艦戦と零戦。しかし新たな敵戦闘機に対抗すべく、技術者たちは夜に日を継ぐ努力を重ね紫電、紫電改、雷電、烈風ほか多くの海軍名戦闘機を生んだ。搭乗員も鍛錬に心血を注ぎ、これら新鋭機を駆って大空に出撃……。終戦で実現し得なかった電光、震電、秋水、極光など、その航跡を明かす当事者たちの証言手記。
N-969
世界に先がけて日本陸軍が独自に開発した戦略偵察機「百式司令部偵察機」。快速飛行と長駆航続力を備え、敵地奥ふかく高空を高速で一気に飛翔して貴重な情報をもたらし、連合軍戦闘機群を尻目に悠々と姿をくらますその勇姿。日本の偵察機の黎明から97司偵、神風号、そして百式司偵にいたる苦難の足跡と、連合軍を震撼させた実戦での活躍を綴るノンフィクション。 ※N-161の新装版
N-970
好位置につこうと性能をふりしぼり、機銃の発射装置を押す。射弾を受け火煙を曳いて墜落してゆく敵機。敵弾により身体を痛めるパイロット。零戦、雷電、紫電改、鍾馗、四式戦――来攻する敵爆撃機を邀撃し補充能力以上の機を撃墜し続ければ、兵力を維持しきれずに空襲は止む。敵が侵攻を進め、至近距離から強力な護衛戦闘機を付けてくると、制圧阻止は困難となり防空は破綻をきたす。空戦が生み出す撃墜のメッセージ9篇を収録。
N-971
国際的な見識を持っていたはずの海軍が、なぜ不見識ともいえる太平洋戦争に突入し、大敗を喫したのか。海軍内部で神格化されていた東郷平八郎元帥、皇族軍令部総長伏見宮博恭王元帥――対英米戦に向かう艦隊派と不戦の道を模索する条約派の対立を軸に、海軍出身者が口を閉ざす二人の過誤を究明し、日本海軍の終焉を描く異色作。
N-972
日米開戦劈頭、空母6隻の艦載機350機で米太平洋艦隊の根拠地ハワイ真珠湾を一気に叩く――日本の命運のかかった破天荒な作戦を最前線で指揮、成功させた飛行隊長。歴史的電文をハワイ上空から発した男が、ミッドウェー海戦での戦傷と悲運の敗戦を経てキリスト教と出会い、聖書を携えて渡米。伝道に後半生を捧げた海軍軍人の波乱の人生を描く。
N-973
独創力が歴史を変えた! 独創性、発想の転換――この二つを忘れ、過去の経験に囚われていては、人も企業も社会から取り残される。企業の経営が戦争の遂行と多くの共通点を持つことはよく知られているが、新兵器と新戦術が、製品の開発と新しい社会の流行を作り出すことに似ている事実に多くの人は気付いていない。20世紀に出現した兵器と戦術、その成功と失敗を例に、多くの示唆を与えるユニークな一冊。
N-974
船乗りにあこがれて越中島の東京高等商船学校を志し、入校と同時に“予備士官”となることを義務づけられ、戦局の悪化にともなって最前線へ駆り出された海の男たち。捷一号作戦によるレイテ沖海戦の激闘下、暗黒と焦熱渦巻く沈没寸前の駆逐艦「秋月」の艦底から、負傷しながらも奇蹟の生還を果たした「罐部指揮官」が綴る感動の海戦記。 ※N-312の新装版
N-975
1トンの砲弾が音速の2倍で敵艦の装甲鈑に命中する! その破壊力を装甲で防ぐことは困難である。砲弾は大きい方が望ましい。だが、大きな砲弾には大きな砲が必要であり、それが一発必中ではなく数の力に頼るのであれば、三連装砲塔にしても、三基も四基も載せなければ要求は満たされない。その重量は必要となる防御装甲も含めて非常に大きくなり、攻撃力と防御力を追い求めると戦艦はとめどもなく巨大化する。
N-976
軍令部は軍令、作戦、用兵を掌り、高度な権限を持つ重要な機関である。その計画、立案はすべて軍事機密で、外部の者は窺い知る所ではない。作戦計画は国家最高の機密事項として少数者で計画すべきだが、戦争計画となると簡単にはいかない。統帥権独立という制度を悪用せず、衆知を集め、平素から戦争計画を立てていたならば、大東亜戦争は避けられたのではなかろうか。専門の軍人だけに任せるべきものではなかったのである。
N-977
きびしい選抜試験を突破して憧れの海軍搭乗員となった少年。日米開戦の翌年に15歳で予科練に入隊、“地獄の訓練”に耐えて大戦末期に最後の母艦航空隊配属された下士官搭乗員が、予科練から始まる過酷な鍛錬の体験と、本土防空戦、沖縄特攻作戦ほか、実施部隊での熾烈な戦闘の実相、ともに闘った戦友たちの姿を書き遺した感動の戦闘記録。
N-978
後に第3次ソロモン海戦と呼ばれる作戦において、激しいスコールに端を発した錯誤の連鎖から、戦艦「比叡」は図らずも先陣を切って米重巡艦隊と会敵。近接乱撃戦のすえ敵に壊滅的打撃を与えるも、航行不能に陥り自沈処分となった。兵学校、海大とも恩賜組として卒業し将来を嘱望されながらも、戦死した部下たちを思い、汚名のもとに終生黙し続けた艦長・西田正雄大佐の真情に迫る物語。
N-979
明治5年、天皇の身辺を警護する御親兵は「近衛兵」と名を改め、陸軍大将西郷隆盛がその都督となった。帝国陸軍は創設以来、国民の信頼の中で成長し、国の強弱の尺度となり、また国の発展の礎となって明治・揺籃期を駆けぬけた。列強がひしめく中で、清国と帝政ロシアを相手に勝利へと導いた明治陸軍の統制指導と人材活用を活写する。 ※N-205の新装版
N-980
低速航行の水上艦艇にとって最大の敵は航空機であり、その対策は最大の課題となった。第2次世界大戦開戦時までは米海軍も有力な対空機銃を持っていなかった。開戦前後にスイスのエリコン20ミリ機銃とスウェーデンのボフォース40ミリ機銃を見出し、その強力な工業力にものを言わせて米国流の機銃に仕上げて量産化に移行。大戦末期の沖縄戦でも神風特攻機の攻撃をしのぐことができたのである。
N-981
絶対国防圏サイパン島に米軍上陸。圧倒的物量で迫りくる米艦隊に対し、戦力のすべてをつぎ込んで日本の生命線を確保すべく邀撃作戦に向かった連合艦隊……。日本海軍はなぜ敗れたのか──日本の運命を決した「あ」号作戦の複雑な問題点を検証、敗北に至るまでの大海空戦の過程を、一隻の駆逐艦とその乗組員の目からドラマチックに描いた異色の海戦小説。
N-982
高度ゼロメートル、海面すれすれを突撃する。眼前の海面は炸裂した弾片の飛沫で雨のようだ。一発でも避け損ねたら命はない。「三度雷撃に発進して生還した者はいない」と言われた雷撃隊員として800キロ魚雷を抱いた艦上攻撃機を操り、ソロモンのサメの海を泳ぎ、台湾沖では17機中ただ1機生還。空母「翔鶴」艦攻隊に配属以来、ソロモン、北千島、比島、沖縄と転戦し、太平洋戦争を生き抜いた搭乗員が綴った熾烈な戦場体験。
N-983
「九軍神」と「捕虜第一号」とに運命が分かれた真珠湾特別攻撃隊の十人の悲劇。空母機による華やかな活躍の陰で、危機に瀕しつつも闘魂たくましく「大義」に殉じた海底の若き戦士たち。困難かつ危険で、生還の確率もほぼゼロに近い任務に、なぜ若者たちは豆潜水艇に身を託して命を捧げたのか……。二階級特進の美名の裏側に秘められた日本海軍の光と陰! 同時代人が殉国の士におくるレクィエム。
N-984
日本は満州において興り、満州によって滅びた!傑出した明治軍閥の亡き後、帝国陸軍はその反動の波に激しく洗われた。軍縮の時を経て昭和軍閥は台頭し、政党政治に根底から揺さぶりをかける。満州の日本権益を守るため、陸軍はついに国策の前面に躍り出た。内外の不信をよそに、軍備拡張と政治・経済への進出に賭けた統制なき陸軍の実像を描く。 ※N-208の新装版
N-985
正確な状況把握にもとづく作戦は兵法の鉄則であり、思いこみによる作戦遂行は大きな損害の要因となる──ダンピール海峡における日本輸送船団の悲劇、味方によって撃沈された米潜水艦、マレー沖海戦の英戦艦二隻の喪失など、用兵側の過失、誤認、偏見……さまざまな理由によって失われた各国の艦艇を紹介する。
N-986
戦後の六十年は、日本人が日本人としてもっていた美徳の心が解体されてしまう六十年だったような気がする。そのことを思うと、散華していった勇士たちに申し訳ない思いにかられるのであるが、生き残った者としては、なにかにつけて思いだしてあげることこそなによりの功徳で、菩提を弔うことだと思うのである。〈あとがき より〉
N-987
あざやかな作戦指揮で日露戦争を勝利に導きながら、その翌年、志なかばで病に斃れた知将・児玉源太郎。しかし、彼の真価が発揮されたのは、軍事的戦術のみではなかった──世界的視野と傑出したリーダーシップを備えた戦略家・政治家として、その後の日本の進む道を変えたかもしれない男の再評価をこころみる。
N-988
大正七年、わが国は英、仏から輸入した戦車の試用研究を行ない、昭和二年、国産初の試製第一号戦車を完成。以降、ディーゼルエンジンの搭載など日本独自の戦車を開発し、ノモンハン事件以降、欧米列強の戦車と激突した。戦車部隊の編成者、設計技術担当者、乗員等それぞれの手記により、日本軍戦車の全容を描く。
N-989
風景に対しても、生活に対しても、愚かなほどの柔順さで立ち向かう術を学んだ時、新たな展望が伊藤さんの周囲に展けてきた。伊藤さんのどの作品も、「無心なほどの哀切、非情をきわめた冷酷、あるいはそれが宗教であるかもしれない透徹した位置」からの目に裏打ちされている。伊藤文学の感動はそこに発している。〈解説 より〉
N-990
十九万人が戦死、九十五万人が傷つき病み、七十五万人が中国の戦野に呻吟する昭和十六年、陸軍は新たに米英を敵とする大戦争に国運を賭けようとした。二中戦争の収拾、日独軍事同盟、南部仏印進駐を軸に、陸軍中堅の専横日米外交に専念する東條首相の苦悩に綴り、陸軍が政治を支配した動乱昭和の落日を描く。 ※N-211の新装版
N-991
万能機とは傑作機か、それとも専用機に劣るのか? 零戦、銀河、P-38ライトニング、F4Uコルセア、Ju88、モスキート……。名機と呼ばれた軍用機たちは本来の任務だけではなく、他の多くの用途でも充分に活躍した。戦闘機、爆撃機、雷撃機など数々の目的に使われ、その姿を多彩に変化させていった第二次大戦の航空機を多数の図面とともに詳解する。
N-992
潔く散り得た者は名優にも似て見事だが、散りきれなかったものはどうなるのか。「日本は戦争に敗け、私は人間に敗北したと思った。人間は悪人であり、悪人であるままに、一歩一歩努力するより仕方がないと思われた」(本文より)。生きのびて、筆を執る道を切り拓いた直木賞作家の原点ともいえる、戦士たちが辿った茨の道。
N-993
多くの逸材を輩出した「米沢海軍」の系譜を継ぎ、魚雷戦の権威としてその名を謳われた海の男・南雲忠一。真珠湾奇襲とインド洋作戦での大戦果を挙げながら、ミッドウェー海戦で大敗。いっさい敗北の弁明をせぬまま一人その責めを負い、サイパンの地上戦に果てた寡黙な提督の悲劇を描く物語。
N-994
第219設営隊450名、生還者4名。仮配属された海軍103施設部クラーク分遣隊500名、生還者8名。太平洋戦争末期、比島に設営部隊として駆り出された30歳から40歳半ばの妻子を抱えた一家の柱石たち。人力主体で基地建設にあたった苦闘。指揮命令系統は崩壊、食糧もなくマラリアに冒され、ゲリラに襲撃されて倒れていった隊員を悼む鎮魂の譜。
N-995
太平洋戦争開戦時、南雲機動部隊の行動をカムフラージュするための囮部隊となり、ミッドウェーに猪突猛進。スラバヤ海戦では勇躍奮戦するも、すべての戦果は上級部隊の手柄となる――高速力を生かして重宝がられ貧乏くじを引き続けた駆逐隊の戦いの日々。太平洋狭しと暴れ回った“駆逐艦野郎”たちの赤裸々な姿を描く海戦記。 ※N-646の新装版
N-996
名機と呼ばれることなく第一線で活躍する場を失った“傑作機”の航跡。長距離大型爆撃機に必要不可欠な条件は強力なエンジンである。大戦中その製作に苦しんだのが日本、ドイツ、ソ連であり、大型戦略爆撃機の開発はいずれも未完に終わっている。量産化までの試作開発の途上で発生する問題点を解決するため、さらなる問題点に直面する……。日・米・英・独ほか全63機種の工夫と努力を、図と基本要目、写真を掲載して解説。
N-997
恐怖と苦痛と使命感…。野戦病院に配属された若き女性が見た兵士たちの過酷な運命。――野戦病院の傷病兵には彼らなりの驚くべき奇怪な性欲のうごめきがある。その事実を、さくらが訴えると「そんなことに、いちいち驚いていちゃ仕方がない」と久四郎は事もなげに笑う。「考え方にもよるさ、大陸へ来て娘であることがなんになる。純潔というのは心の問題だよ」(本文より)。若尾文子主演で映画化され、戦場での愛と性を描いた問題作。
N-998
昭和19年6月16日――米戦略爆撃機B29の日本本土空襲が始まった。インドから中国・成都を経由して北九州へと4500キロを飛来する高性能機を阻止すべく、陸軍部隊は旧式機をも総動員し、中国大陸において陸空で決死の作戦を展開した。搭乗員たちと寝食を共にし、爆撃機に乗って取材した新聞記者が描く知られざる戦いの記録。
N-999
洋上基地「航空母艦」の擁する艦戦、艦攻、艦爆、艦偵。発着艦や洋上航法をはじめ、水平爆撃・急降下爆撃・雷撃の戦法と搭乗員の鍛錬、整備員たちの奮闘と収容格納の実態とは……。人と艦が一体となり飛行甲板を舞台に戦った母艦航空機搭乗員と整備員たちの実像、そして熾烈な海空戦の実相を描く体験手記29篇。
N-1000
日本が太平洋戦争中に行なった唯一の米本土攻撃、その担当艦・伊25潜。太平洋戦争下、日本海軍伊25潜は北はアリューシャン、南はオーストラリア、東は米西海岸オレゴン州まで敵の領土深く忍び込み、心胆を寒からしめた。その細心かつ大胆不敵な行動と、波乱に満ちた活躍を描く。 ※N-614の新装版