N-1001
戦場で敵を直接撃滅する目的の「表の兵器」とともに、第一線で行動する兵士たちを支えた「陰の兵器」──対戦車戦闘の切り札、ロケット推進兵器ロタ砲。搭乗員の命を護る落下傘。敵陣前の障害物を除去する、工兵の必需品・地雷探知機と鉄条網鋏。敵情・射弾観察に活躍した大観測鏡。連絡・救難用に重宝した信号拳銃など、陸軍の異色兵器を写真と図で詳解。
N-1002
歴史家サミュエル・モリソンは「アメリカはいまだかつて、日本海軍以上に頑強で、よく訓練され、強力な部隊と戦った事はなかった」といい、米海軍の指導者たちは「日本海軍で一番強かったのは下士官だった。次が兵……」と評した。勝つために全力をつくそうとする「大和」下士官兵たちの気構えと戦いを描く感動作。
N-1003
A級「平和に対する罪」で裁かれた極東軍事裁判(東京裁判)とは別に、B級「通例の戦争犯罪」とC級「人道に対する罪」で裁かれた第八軍横浜軍事裁判での刑死者908名、自決・病死160名、有期刑5,700余名。刑死した“戦争犯罪人”たちが残した最後のことばとは……。死と真正面から対峙した彼らの死に様を描くモニュメント。
N-1004
歩けない兵は死すべし。飢餓とマラリアと泥濘の“最悪の戦場”を彷徨する、傷つき疲れ果てていた兵たち。「……衝撃が頭上におこったと思った瞬間、鉄棒で殴りつけられたような爆風をうけた。ふきんに目をはしらせたとき、思わず愕然とした。すぐとなりにいた兵長が忽然と姿を消していたのだ」──インパール白骨街道。生死の峠を越えた者たちの死力を尽くした戦いを記す。
N-1005
“カミカゼ”特別攻撃のさきがけとなった201空にあって志願して特攻隊員となりながら、奇しくも生き残りえた予科練搭乗員。死出の旅路に赴いた関大尉、久納中尉、植村少尉、国原少尉をはじめ幾多の搭乗員たちと共に過ごした特攻基地での日々、彼らの真情と過酷な比島航空戦の実情を伝える感動のノンフィクション。 ※N-352の新装版
N-1006
伝統的に駆逐艦を名乗っているものの、実態は艦隊護衛艦としてきわめて汎用的な対空、対潜、対水上、さらに対地戦闘をもこなし、現代では万能戦闘艦となった「超駆逐艦」の変遷。また、正確な砲術のための異色艦種「標的艦」、航空母艦確立までの黎明期「航空機搭載艦」を多数の図を用いて詳解する。
N-1007
第一次世界大戦後、アジアにおける国際秩序を支えてきた米英主体のワシントン条約体制、革命をへて国際部コミンテルンを結成するソ連、欧州で強大な軍を擁するドイツ。三者のあくなき権謀術数渦中に立たされた日本が進んだ道とは…。海軍兵学校70期卒、戦艦「大和」とともに沖縄特攻に赴いた駆逐艦「霞」砲術長が、3年半に及ぶ戦場体験を礎に、内外の資料を渉猟して綴る戦争の真実。
N-1008
藤井軍曹が初年兵のときに経験した錦江作戦は、この上なくきびしい戦争体験であり、しかも敗戦体験である。中国軍の大軍に包囲され、全身に春の菜の花を浴びながら死傷してゆく兵士たちの苛烈な青春。直木賞作家(既刊NF文庫『螢の河』)が、生と死の隣り合う戦場を鮮やかに描く実録兵隊戦記。
N-1009
航空母艦に結集された造艦技師、乗組員、艦上機搭乗員の技術と情熱!武運に恵まれた翔鶴・瑞鶴・隼鷹、ミッドウェーに果てた加賀・蒼龍、新鋭にして悲運の大鳳・信濃・雲龍、輸送任務に活躍した改装空母群……。当事者の綴った三十余篇の体験手記と談話が、日本空母の建造と構造変遷、運命を分かつ海空戦の決定的瞬間を描く。
N-1010
“一瞬の死”が待つ大空に賭けたパイロットたちの戦い。太平洋戦争末期、制空権なきフィリピンで青春のすべてを愛機に賭けて大空に飛翔していった若鷲たちは、いかに生き、いかに散っていったのか。第四航空軍の中核戦力として崩れゆく比島防衛線を支えた誇り高き戦闘隊の死闘の日々を、若き飛行将校が描いた感動の空戦記。 ※N-295の新装版
N-1011
難敵の捕捉と一撃必墜を期し37ミリ戦車砲を搭載した「百式司令部偵察機」。高速・重装備をつきつめた幻の前翼型戦闘機「震電」、高速度を目指したレシプロ機「研三」の開発。敵大型爆撃機を狙う空対空爆弾。綿密な取材により、これら太平洋戦争後期の兵器を貴重な写真と諸元とともに詳解する。
N-1012
明治以来、受けつがれきた日本陸軍の伝統、教育、生活とはいかなるものだったのか。今中武義陸軍少将、陸軍士官学校18期生。明治、大正、戦前昭和の三代の軍隊に従事し、健軍精神を貫いた少将の回想録により、太平洋戦争以前の溌剌とした息吹を生き生きと伝える。同期生、山下奉文、阿南惟幾、岡部直三郎、山脇正隆、藤江恵輔ら将軍たちの素顔も綴られる。
N-1013
空母瑞鶴から見た真珠湾攻撃。
艦と乗員、愛機とパイロットが一体となって勇猛果敢、細心かつ大胆に臨んだ世紀の瞬間。艦長から整備兵にいたるまで、幾多の生存者を取材して証言を集め、日米の史料を徹底検証し、未曾有の戦いを壮大なスケールで再現した珠玉のノンフィクション。瑞鶴乗員、艦攻・艦爆隊員たちはなにを思い、いかに戦ったのか。待望の『勇者の海』シリーズ第1弾。
N-1014
建国まもない満州国の首都・新京。満州人、日本人、朝鮮人、ロシア人……、多民族が雑居する新京で暗躍する敵性国のスパイ網を殲滅すべく、1937年9月に工藤胖憲兵軍曹を長として7名で編成された特命防諜班。大都市の裏側で繰り広げられた任務秘匿の日本憲兵vsスパイの知られざる戦いの記録。
N-1015
太平洋戦争中、陸海軍が実行した完全なる撤収作戦──ガダルカナル、コロンバンガラ、キスカ三大作戦。敵重囲下の各戦場で、作戦担当者はいかにその重責を果たしたのか。敵撃滅を願いつつ、疲弊する将兵を撤収させるため、一分の隙もなく、整然と遅滞なく進められた撤兵作戦の第一線を描く。 ※N-302の新装版
N-1016
ソ連が最新鋭ミサイル戦艦を建造中──第二次大戦後に西側諸国でささやかれた噂の真実とは……。虚実の情報が飛び交うソ連の軍艦建造事情とはいかなるものであったのか。帝政ロシア時代、第一次大戦、革命をへて、独立体制を確立したスターリンによる艦隊計画の実体、ソ連大型艦の建造史とその活動を追った異色作。図と写真を多数収載。
N-1017
失敗に終わったフィリピン沖海戦で、小沢治三郎の捨身の囮作戦は日本海軍の救いの一つとして残った。戦後開かれた小沢の十三回忌の偲ぶ会には、他の提督の場合にはほとんど姿をみせない元海軍下士官兵が30人以上、くわえて元陸軍将校たちまでも参加していた。海軍下士官兵をはじめ、犬猿の仲といわれた陸軍将校からも敬愛された智将・小沢治三郎。その戦術と人物像を描く。
N-1018
1944年10月、台湾東方に来襲した米機動部隊と日本軍航空部隊の5日間にわたる死闘。敵撃滅の切り札として出撃した「T攻撃部隊」の海軍中攻隊と陸海軍の搭乗員が混乗する陸軍雷撃隊の知られざる戦い……。洋上に消えた精鋭雷撃隊の想像を絶する激闘の実相を再現するノンフィクション。付/台湾沖航空戦時の攻撃708飛行隊・飛行98戦隊編成表。
N-1019
潜水空母や水中高速潜をも生んだ造艦技術の粋、伊号潜水艦。燃料、糧食、水、被服を満載して出撃すれば、艦長以下、一蓮托生の長期「カン詰め」生活となる。隠密行動を旨とし、敵艦撃沈破の戦果をあげた魚雷攻撃、補給輸送等の任務に従事。爆雷攻撃に耐え抜き生還した艦長と乗組員らの手記が、潜水艦勤務の全貌を描く。
N-1020
「貴隊ハ現在地ヲ死守スベシ」世界戦史にその類を見ない死守命令──酷薄非情な命令の下、食糧も届かないビルマ奥地で、装備・物量ともに優勢な連合軍を迎え撃った「菊」兵団。敵弾の降りそそぐ最前線で、重なる犠牲に苦悩しつつも活路を切り開いた独立支隊長の奮闘記。地獄の戦場に斃れた無名戦士の痛憤を若き将校が赤裸々に綴る。 ※N-242の新装版
N-1021
文明の急速な発達と世界の趨勢により、人員と物資の迅速な輸送を求めた時代があった。船を高速化するための苦難の道とは…。艦艇・商船を造る材料開発と建造技術、それを裏づけるための理論まで、船の速さの歴史に秘められた工夫と努力の航跡をたどった異色艦船史。
N-1022
孤立した南洋の友軍陣地に弾薬、糧食、医薬品などを届ける潜水艦勤務。制空権なき海域を進む船団を護る海防艦勤務。ソロモン方面への潜航輸送23回、大戦末期の船団護衛と対潜掃海…、ひたすら任務遂行に挺身した著者が最前線の日々を綴る実録記。
N-1023
中国との泥沼の戦闘を続けながら、なぜ大国アメリカをはじめとする列強を敵に回す戦争を決断したのか。満州事変、国際連盟脱退、日中戦争、ノモンハン事件と、国際社会での孤立を深め、軍部の台頭を許して戦争へと突き進んでいった日本は、どこで進路を間違えたのか。視野狭窄に陥り崩壊への道をたどった歴史の暗部を読み解く。
N-1024
食糧も武器弾薬も乏しい地獄の戦場「ニューギニア」において、米豪軍からその卓越した用兵ぶりを賞賛された安達二十三陸軍中将。「愛情はほのかなるがよし」「酒は量なし、乱におよばず、という飲み方がいい」「わしは本気で怒っているのではない。これは議論だ。気にするな」「人間の一生は我慢だよ。一生我慢を通せば、その人本来の性格と同じになる」「人間は死のうと本気で決めたら、どんなことをしても死ねると思う」など、滋味溢れる語録を残し、最高指揮官として、戦後みずからを自決で裁いた高潔な生涯を描く。
N-1025
悲運の九九双発軽爆撃機──米軍から“ジャパニーズ・ライター”と揶揄された非力な爆撃機を駆って、レイテ航空決戦で勇名を馳せた七十五戦隊。強い絆で結ばれ一丸となって祖国防衛に身を挺した陸軍軽爆隊の若き隊員の活躍と悲劇を、戦隊長自らが綴った異色作。 ※N-299の新装版
N-1026
日露戦争、第一次大戦、太平洋戦争において通常の陸上戦闘から陣地戦まで、戦場の主役として活躍した強力な各種火砲──。旅順攻略に貢献した二十八センチ榴弾砲、山岳戦に威力を発揮した軽便な四一式/九四式山砲、要塞攻撃に期待された野戦用十センチ加農砲など、日本陸軍の屋台骨を支えた各種火砲を多くの写真と図を掲載して詳解。
N-1027
山本五十六、古賀峯一、豊田副武、小沢治三郎、各司令長官の情勢判断と意志決定とは…。四人の長官と部下たちの指揮統率の経緯を分析し、作戦優先の日本海軍の弊習と欠陥を指摘する。「ミッドウェー海戦惨敗のあと、連合艦隊司令部は、いつもやる戦訓研究会を開かなかった。担当の先任参謀は『突っつけば穴だらけであるし、皆が十分反省していることでもあり……いまさら突っついて屍に鞭うつ必要がない……』──身びいきである」〈あとがきより〉
N-1028
祖国日本の美しい山河を、そこに住む愛しい人々を守りたい──。特攻散華した若き勇士たち139人の遺書・遺稿にこめられた魂の叫び!「特攻を思うということは、懐古趣味にひたることでもなければ、軍国主義に賛同することでもなく、特攻の真実の姿を知ることによって、日本民族のもっとも清冽でもっとも美しい精神を取り戻すことである。特攻隊員の純粋精神は、今日を明日をいかに生きるべきかという命題に一つの指針を与えてくれるはずである」〈本書より〉
N-1029
単機で洋上遥か最前線の敵情偵察任務に従事、さらには夜間単独偵察、海上護衛、対潜・対艦攻撃、特攻と、連合艦隊の目となり尖兵となり、縁の下で支えた水上機隊。水偵、観測機、水戦、強風、瑞雲・紫雲、幻の晴嵐、飛行艇──世界に誇る日本海軍水上機を生んだ技術者と搭乗者たちが語る“下駄ばき機”の発達変遷と奮闘記。
N-1030
昭和20年8月15日、日本の敗戦、満州国崩壊──そのとき、日本人は何を考え、どう生きたのか。日本人が入植して造りあげた国境の町・安東。ソ連軍侵攻にともなって地獄絵図と化した町で生きた敗戦国民の長く苦しい夏。軍人でも官僚でもなく、財閥とも無縁なごく普通の人々の苦闘を描く感動のノンフィクション。 ※N-346の新装版
N-1031
弾丸を連続発射し、敵を制圧する威力を持った機関銃の登場によって戦場の形態は大きく変わった──日本銃器開発史に名を残す南部麟次郎の十一年式機関銃、二式複座戦闘機「屠龍」に搭載の三七ミリ大口径砲、画期的な防空システムだった二式多連高射機関砲など日本陸軍が装備した各種火器を写真と図で詳解する。
N-1032
特攻に対する責任はすべて大西ひとりにあるのか。展望のない戦術への決断のときを描く。特攻は最後の切り札であった。だが『神風』と名づけた切り札の特攻によっても戦局は好転しなかった。「特攻をやっても勝てない」という考えにゆきつき、ついに陸海軍も我を祈り、降伏に踏み切らざるをえなくなった。特攻隊は、その犠牲によって終戦を実現させ、日本を壊滅寸前で救い、新生日本を生んでくれた。〈あとがき より〉
N-1033
日本敗戦の日から七日後、鹿島灘に突入した九七艦攻と同期生たちの生と死を、事実の奥にひそむ真実を抉り出すべく、名シナリオ作家がほとばしるように織りなすかずかずの人間ドラマ。「一つの生を得るには一つの死が要る」の信念の下、「事件」の真相と心情を綴り、不条理の青春を記した著者の体験に基づく感動作。
N-1034
「俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人」と、いとしき人への思いを日記に記して散華した若き学徒兵・宅嶋徳光(既刊NF文庫902『くちなしの花』)との恋、そして別れ。死の病から生還をとげ、悲しみをのりこえ新しい愛を育んだある女性の波瀾万丈の人生。戦歿学生の心の支えとなった最愛の人が、思いのたけをこめて来し方を綴る感動の回想録。
N-1035
母艦搭乗員として零式観測機を、また零式水偵を駆って水上機ひとすじに歩み、偵察に掩護に、そして爆撃に死闘をかさね、孤独な修羅場をくぐり抜けた不屈の男の空戦記。不況と貧困の時代に生まれ、大空に己れのすべてを賭けざるを得なかった「予科練」の若者たちの生と死を描いた感動の墓碑銘。 ※N-321の新装版
N-1036
排水量2000トン、時速2000キロで空を飛び、ビーム兵器を備えた潜水艦。全長600メートル、超重爆撃機80機と51センチ砲を搭載する巨大航空母艦。昭和初期から終戦まで、卓抜なアイデアで少年たちを夢中にさせたジュール・ベルヌや海野十三らの未来小説。それらの中に登場する未知のスーパー兵器の数々をイラストとともに紹介する。
N-1037
「勝てる見込みはありません。日本の海軍は米英を向こうにまわしてせんそうするようには建造されておりません」──海軍を預かる者(海軍大臣)として、海軍を運営して国を誤らず、海軍を犠牲にして国家と国民を破滅から救うという功績を残した米内光政の人物像を描く。
N-1038
空母瑞鶴から見た南方攻略戦。初の空母対空母の航空撃滅戦において、敵空母レキシントン撃沈、ヨークタウン撃破の戦果をあげた日本艦隊──空母乗員、パイロットたちはいかに戦いにのぞんだのか。日米の膨大な史料と生存者への取材により、両国の視点から激闘の全容を立体的に捉えた迫真のノンフィクション。『勇者の海』文庫化第2弾。
N-1039
日中戦争のさなかに小学生時代を過ごし、6年生で日米開戦。戦時下に生まれ、ベーゴマと野球を愛した幼顔の軍国少年は、母と弟を守らんと海軍に志願。通信学校を経て配属されたのは鹿児島の特攻基地だった。特攻前夜の隊員の赤裸々な姿、グラマンの襲撃、そして出撃搭乗員たちが託した一冊のノート……。歴史作家が初めて綴る、満15歳にして憧れの航空隊で知った軍隊と戦争の真実!
N-1040
幕末から明治維新へと波乱激動の時代を雄々しくリードしながら、朝敵として斃れた隆盛。維新早々に欧米を視察して外国の文明や制度に触れ、兄の知らない新しい世界を見てきた従道。隆盛を兄としたがゆえの悲しき宿命を背負いつつ、時代の潮流を見すえて新生日本の舵取り役となった大人物の内面を照射した感動の人物伝。
N-1041
俺たちの青春は何だったのか……海軍兵学校に己の拠り所を求め、学び、鍛え、鍛えられ、逡巡し、時代の奔流に身を投じた若き魂の叫び!「古い日本とともに動いた」海兵出身の若者の過去の栄光に対する感傷ではない、戦後を生きる若者の新しい道を……
[目次]第1部(柔道部の五人)/第2部(殴る/潮の匂い/瀬戸内秋色/冬波/短剣)
N-1042
緑十字の交換船阿波丸はなぜ、撃沈されたのか。米潜水艦によって救助された、唯一人の生存者はなぜ沈黙するのか。一瞬にして二千余名の非戦闘員とともに撃沈された緑十字船「阿波丸」の悲劇の真相を追い、遺された者たちの“怒り”を活写する。終戦直後、アメリカに対する日本政府の優柔な姿勢と圧倒的な占領軍政策の下で戦時下に発生した事件の顛末を追及するミステリー。
N-1043
血盟団事件、神兵隊事件、二・二六事件、血なまぐさい数多の戦前の事件につづき価値観が一変した戦後は、想像を絶するニュースが人心を翻弄し、混乱させる。頻発する大事件に果敢に挑んだ記者たち。その命懸けの真実追究の活動の一断面を克明に伝える昭和の記者外伝。戦前戦中戦後、その間の道は平坦ではなかった。
N-1044
ソ満国境、磨刀石という戦場──終戦を目前にして、ここで若い学徒兵たちが死んだ。数ヵ月前まで学窓にあった平均年齢弱冠二十歳の陸軍甲種幹部候補生九百二十余名は、初陣となったわずか二日間の戦闘でその大半が散華した。生き残った数少ない候補生の一人が克明に書き綴った同期生一人一人の生き様、死に様!
N-1045
生存を望むべくもない東部ニューギニア戦線を生きぬいた末端兵士が描く凄惨な戦場の実態──飢餓に、傷病に、次々と戦友たちが斃れる中で、なぜ自分は生き残ることができたのか──自らのおかれた「運命」をふり返り、戦場における残虐性、そして人間の尊厳を赤裸々に綴り、戦争の愚かさを素朴に伝える感動の記録。 ※N-479の新装版
N-1046
オアシス・オブ・ザ・シーズは旅客用甲板は一七層にも達し、もはや船の概念をはずれ、海上の巨大構造物、一つのマンション・集落と考えられるほどの船に進化したのである。その大きさはコロンブスのサンタマリア号とは比較にならないほどで、サンタマリア号は本船が搭載する救命艇ほどにしかならないのである。
新たなる大艦巨砲主義の到来──ヴィクトリー号からドレッドノート、そして「大和」にいたる近代戦艦の登場と衰退。新しい海の覇者となった超巨大航空母艦の未来は? 船の巨大化をめぐる努力と工夫の航跡をたどる。
N-1047
日本が米英を敵として戦うようになった主因の一つは、陸海軍の教育がもっぱら戦闘技術の習練と研究に努め、政治と軍事との正しい関係とは何か、どうすれば正しい関係が得られるか、などについての教育を顧みなかったことにある。これを深く研究し、文武の新しい統合の道を打ちたてない限り、日本は救われない。(本文 より)
五人の思考と行動とは。日米開戦は阻止できなかったのか。永野修身、米内光政、吉田善吾、及川古志郎、嶋田繁太郎──。海軍の苦難の時代を担当した最高責任者に誤りはなかったのか。
N-1048
戦場の正義や同胞愛に普遍性があるはずはない。ところが先の大戦では、戦争の勝者だけが正義である、という論理と現実が、戦争裁判をとおして敗戦国日本の軍人や軍属に押し付けられた。勝てば、何でもありである。それは裁判という民主的な体裁をよそおった先の大戦の戦勝国においても、変わることはなかった。(あとがき より)
なぜ捕虜は処刑されたのか──救助した俘虜111名、うち65名を艦長は、なぜ殺害したのか。上級司令部のスケープゴートとなって刑死した元戦隊司令官左近允尚正中将を主軸に国家と組織の軋轢の中で仕組まれた英国戦争裁判香港法廷の実情を描く異色のノンフイクション。
N-1049
終戦を李登輝は八月十日、金日成は八月十五日と異なった解釈をしていますが、日本から考えた場合には、サンフランシスコ条約の効力が発生した昭和二十七年に、両国とも主権国になった、と私は解釈しています。つまり日本は昭和二十年に実効支配を喪失し、サンフランシスコ条約発効で領土権を放棄したわけです。(本文より)
マッカーサー極秘調査官の証言。みずからの体験と直話を初めて赤裸々に吐露する戦前・戦後秘録──金丸信、北朝鮮土下座外交の真相も披瀝する驚愕、衝撃の一冊。
N-1050
飢餓、寒気、マラリア、赤痢、そして、連合軍の猛攻撃!──東都ニューギニアの高峰皿訳っとで無念の涙をのんだ日本軍兵士たちの凄惨な敗退の途を描く。絶え間なき峻烈な砲爆撃下、己れの使命を果たさんと果敢に戦いぬいた一砲兵・佐藤弘正上等兵が最悪の戦場から奇跡的に生還した自らの体験を礎に、最前線にたおれた無名戦友たちの運命を描くノンフィクション。 ※N-278の新装版
N-1051
日独伊三国同盟に反対し、日米の開戦を阻止すべく尽力した山本五十六。しかし、連合艦隊司令長官になるや、対米不戦を主張するも、真珠湾攻撃を強引にすすめ、戦争に向かって邁進したのはなぜか──真珠湾奇襲作戦の立案者であり、ミッドウェー海戦を推進した、名将の誉れ高い山本。侵してはならない海軍の聖域──悲劇の英雄をあえて断ずる! ブーゲンビル島上空で壮烈な最期をとげた連合艦隊司令長官。その人となりを戦略、戦術的にとらえ、厳しい評価を下す衝撃の一冊!
N-1052
海軍兵学校で、一号生徒として君臨していた武田生徒は、航空士官の道を歩み、日本は戦争へ突入する。時代の軍事色に惹きつけられた武田は念願だった搭乗員となり、昭和十八年の春、トラック島の最前線に赴任した──直木賞作家が自ら捕虜となった稀有な運命と、青年士官の苦難に満ちた戦いの日々を綴る感動作。
N-1053
三度にわたる、七年にも及ぶ兵隊暮らしの原体験をいしずえに『螢の河』で直木賞を受賞して以来、営々として戦争小説をつむいできた戦争文学の第一人者が、心意気横溢に兵隊と戦場生活を語り継ぐ。兵隊たちの語り部として、各地に飛び、聞き取りを行ない、あざやかに、臨場感あふれる筆致で紙上に再現する戦話集。
N-1054
日本海軍最大の失敗は、海上輸送をおろそかにしたことである。第一次世界大戦以降、海上輸送のもつ意義は大きく、新たな脅威、潜水艦の出現で海軍は艦隊決戦に勝利すれば国防の任を全うできる時代ではなくなっていた。一次大戦で地中海での海上護衛戦に従事した日本海軍が、なぜ、その変化に気づかなかったのか。第一次世界大戦から太平洋戦争まで、海上護衛戦、対潜戦の全貌を分かりやすく解き明かす。
N-1055
熾烈な日米航空決戦によって兵学校出身のパイロットが払底する中、エンジニアリングオフィサーから選抜され、零戦、紫電などを操って空戦場裡を駆け抜けた八人の若者たち。機関学校五十期出身の異色のパイロットたちのひたむきな姿を軸に、蒼空と群青の海に散った同期の士官たちの青春を綴るノンフィクション。 ※N-172の新装版
N-1056
敗戦までに海と空で突入した特攻機は、およそ二五五〇機。三九〇〇名の特攻隊員が散華した。国難に殉じた英雄と仰がれるべき彼らは、戦後ながらく一般国民から、悲惨な、あるいは特異な、さらには無意味な戦死者とみなされ続けた──長年にわたる取材と様々なアプローチで特攻隊員たちの真意に迫る一〇遍を収載。
N-1057
社会の表舞台に現われた人は、時の移ろいにしたがい、大衆思想が変化した後でみると、どこかしら哀れで滑稽な趣きもある。ただ生まれる時代を選べないと同情するのは簡単だけど、それから七十数年が過ぎたいま、社会に定着しつつある無思想と無力感とは果たして、どちらが良いとも悪いとも一概には言い難い。〈本文 より〉
N-1058
戦艦「三笠」の露天艦橋で、装甲巡洋艦の砲側で、水線下の駆逐艦の機関部で、バルチック艦隊との決戦に男たちは何を見て、いかに戦ったのか。「坂の上の雲」にも描かれなかった歴史的大海戦の実相と明治人の気概を伝える珠玉の証言集。文庫化にあたり、生誕百五十年を迎えた秋山真之参謀の貴重な講演録も収める。
N-1059
関東軍参謀として満州事変を成功させ、東条英機と対立し予備役に追いやられた異色の将軍。五族協和、王道楽土、産業五ヵ年計画等々、ゆるぎない日本誕生に自らの生命を賭けた天才戦略家の生涯。軍人であり、思想家、そして政治家でもある巨人の軌跡。発掘された直筆新史料『石原メモ』を元に、その実像に迫る。
N-1060
高橋兵曹はソロモン海戦で伊集院艦長の伝令として戦闘を一望する。一心同体の連携プレーで、暗夜の戦いに活躍する。すなわち、敵の新型戦艦の三連装主砲を一瞬、早く沈黙させ、それを見事に落伍せしめる。その間、わずか二、三秒間の差であった。この砲撃の一瞬の早さが、すべての勝敗を決定づけたのであった。 ※N-560の新装版
N-1061
戦争中の航空機開発には、完全な性能を持つ機体を可能な限り早い完成が期待される。限られたエンジンを使い、いかに空気力学的にすぐれた機体を完成させ、高性能を発揮させるか。第二次大戦中、理想の機体をめざしながら実戦の投入には間に合わなかった各国の戦闘機開発の過程と苦闘を描く。図版・写真多数。
N-1062
爆弾が命中すると無数の鉄片が弾丸となってとびちる。鋼鉄の破片に体をうちぬかれた兵たちが無残な姿をさらす。それはものすごいものである。手足がちぎれる。頭も割れる。首が切れる。爆風でふきとばされた兵は目玉がとびでた姿で壁にはりついて死んでいた。足の踏み場もないほど死者が出た。重傷者も続出した。〈本文 より〉
N-1063
「急速潜航!」一分後、呂五〇潜は裂かれるような物凄い衝撃をうけた。敵の爆雷攻撃がはじまったのだ。艦は左右に大きくゆれて、さまざまな機械類が落ちてくる。艦内は一瞬にして真っ暗闇となった。不安と恐怖が急速に覆いかぶさってきて声も出ない。ミシッ、ミシッと艦がきしみ、気が気でない。(本文より)
N-1064
いざ出陣──馬は活兵器、兵は一銭五厘。厳しい軍律の下、兵も馬も輸送船の船底に詰め込まれ、黙々として戦線に向かって行く。こもった熱気、よどんだ空気、船体の動揺。第一線に立てば、過酷極まりない戦場が待ち構えている──倒れた愛馬を前に班長は、腰の拳銃を抜いて、「青よ、先に行って待て」。銃声一発。
N-1065
空と海を米軍に包囲されたソロモン諸島コロンバンガラ島の将兵一万二千余名を救出するため、陸海軍集成の大発部隊は砲火を押して決死的輸送を敢行した──昭和十八年九月二十六日から実施された撤収作戦の最前線で指揮した海軍少佐が周到な準備段階から撤退完了まで克明に描き、地獄の戦場の一筋の光明を綴る。
N-1066
戦後生まれの者にとっては、陸軍という組織は得体の知れない動物が潜む密林のような存在だ。しかし、その理解なしに戦前の歴史を語ることはできないはずだ。「派閥」というよりも「閥」と「派」の発生という社会的な現象、さらには相互の緊張関係という視座を設けて、人から陸軍を探る、それがこの本の目的である。〈「はじめに」より〉
N-1067
海軍における太平洋戦争は山本五十六を抜いては語れないが、源田実を抜いても語れない──真珠湾、インド洋、ミッドウェー、マリアナ沖、国連を賭す幾多の大作戦に際し、勝敗を左右する中核航空参謀として才能を発揮、主導した源田実の実像とは、いかなるものだったのか。その素顔にせまった異色の海軍人物伝。
N-1068
明治九年に創設され、米国のアナポリス、英国のダートマスとともに世界の三大兵学校として、高く評価されていた日本の海軍兵学校の伝統をいまに蘇らせる。江田島兵学校の伝統は普遍的な価値を持ち、現代の若者たちに資するべきものである。全七十八期から優秀な人材一二四三三名を輩出したエリート教育の実態を綴る。
N-1069
古来、戦争から得られる教訓は、勝利の戦いよりも敗北した戦いからのほうが、より多くの教訓が得られるといわれるが、少なくとも日本は元寇以来二十世紀まで国家として外国軍と戦って大敗北の歴史がない。外国軍との戦いではつねに勝利を収めてきたから、対外戦争に関しては大勝利から教訓を探るほうが妥当である。
N-1070
日米四万二千の死傷者を出して、砂浜を鮮血にそめた太平洋戦争最大の激戦場・硫黄島──なぜ日本軍は東京の玄関先で孤立無援の死闘を展開したのか。そして硫黄島の攻防戦が快適に有名になった理由はなにか──守備計画に参画して、飛行場を海に沈めることを主張した異色参謀が貴重な資料と体験で描く感動作。
N-1071
日本軍に占領された南方の島々を破竹の勢いで奪還する米軍に、はじめて敗北の衝撃をもたらしたペリリュー島の戦い。「三日、長くて四日」と予測された米軍の制圧計画は覆され、七十数日間におよぶ熾烈な攻防戦が展開された。後の硫黄島、沖縄戦にも影響を与えた激戦の実態を、生還者への取材を元に日米相互に伝える。
N-1072
われわれは酷い食べ物に悩んだ。英国に捕虜協定に反すると抗議したら、「お前たちは戦後に捕らえられたので捕虜ではなく囚人だ」との返事だった。「囚人なら労役はしないでよいはずだ」と反論したが、「負けたくせに何を言う」と一蹴され、われわれは少量のキャベツ、じゃが芋の乾燥野菜のみで過ごすことになる〈「まえがき」より〉
文字の書けない英国兵、殴る豪州兵! 医者の立場で綴る捕虜の悲哀のエピソード。独立の気運高まるビルマの民衆と戦勝国に見せた日本人の勤勉さと個々の能力の高さ。
N-1073
昭和十三年三月起工、四年の歳月を費やし、太平洋戦争中の昭和十七年八月に竣工。全長二六三メートル、基準排水量六五〇〇〇トンの「大和」型二番艦──強力な武装を施し、防御力に優れ、不沈艦と謳われた超弩級戦艦の苛烈なる戦い。設計建造、そして進水艤装から、その終焉までを体験に基づいて綴る迫真の戦記。
N-1074
いかなる国の軍人であっても、戦術としての特攻を否定する者はいても、特攻隊員の勇気を否定する者はいません。特攻を志願した若者たちには、わが身に代えても外敵から祖国を守るという、強烈な責任感と使命感がありました。特攻隊が外国人からも畏怖、敬仰されるのは、その自己犠牲の凛冽な精神ゆえなのです。
国家が特攻を必要とする。俺は志願した──。特攻作戦に青春を捧げた男の決意。250人の若き特攻隊員がのこした遺書、日記、手紙に綴られた愛しい人へ贈った最後の思い。
N-1075
正式名称「陸軍潜航輸送艇」、秘匿名「まるゆ(○の中に「ゆ」)」。設計は陸軍の技術士官、建造は機関車・ボイラー工場、そして乗員は元戦車兵。海は素人の陸軍が、計画決定後わずか十ヵ月で1号艇を完成、終戦までに四十隻を竣工させ、制空権なき海を比島へも派遣させた“まるゆ”。日本陸軍ロジスティクスの欠陥が生んだ決戦兵器の実態を綴る。 ※N-662の新装版
男たちは、こんな兵器に生命を託した! ガダルカナルの失敗が生んだ秘密兵器の全貌。海軍の海上護衛能力に絶望した陸軍が、極秘で独力で造り上げた水中輸送艦の知られざる記録。
N-1076
ソ連軍の被害は、日本軍よりも大きかった! グラスノスチ(情報公開)後に明らかになった戦闘車両500両を撃破されたソ連側の大損失。日本軍の惨敗という従来の定説を覆す問題作。
N-1077
頭部に一・五トンの炸薬を搭載し、一発でいかなる巨艦をも轟沈させ得る威力を持つ回天。水中深く潜り、姿が見えない人間魚雷は、米軍にとって絶大な脅威となった──必死必中の特攻兵器とともに凄絶な戦いに一命を投げうっていどみ、日本の行く末を思って死んでいった戦士たちの実像と、崇高な志を描く感動作。
N-1078
特殊潜航艇でシドニー湾を攻撃、戦死した松尾敬宇大尉の最期の地を訪ね、現地で大歓迎を受けた母の旅に同行取材した表題作はじめ、回天特攻隊員の母代わりとなった料亭の仲居さんの話、ひっそりと戦後を生きた東条英機夫人の生涯など、満州で対ソ戦とシベリア抑留を生き抜いたルポライターが綴る戦争秘話全九編。
N-1079
ニューギニアからの撤退、アッツ島玉砕、インド・インパール作戦の凄惨な敗退。戦況がきわめて劣勢のもと、昭和二十年三月に発動された北部仏印への進駐作戦──平和進駐から五年後、フランス軍のベトンの要塞を相手にした日本の戦史上異様とも思える緊迫した戦い。死傷者が相つぐ攻略戦の全容を捉えた感動の戦記。
N-1080
敗戦の焼土と復興の槌音の中に大いなる感動を走らせた『連合艦隊の最後』に続く白眉の伊藤戦史。日本海軍に日本民族の誇りを見る著者がその興隆に感銘を憶え、滅びの後に汲みとられた貴重なる遺産を後世に伝える不朽の名著。鎮魂の思いと共に“大いに興るもの”への憧憬と清冽な精神の在り方を啓蒙する感動の代表作。 ※N-343の新装版
N-1081
米海軍を粉砕する51センチ砲とは何か! 帝国海軍の主力艦砲の航跡。明治2年の英国製300ポンド砲、日露戦争の40口径30センチ砲、41センチ砲搭載戦艦「長門」、そして「大和」──新興国日本が列強に対抗するために求めた主力艦艦載砲の強力化の歩み。
昭和十六年初めの高等技術会議で⑤計画新戦艦七八九号艦、七九〇号艦に五一センチ砲の搭載を決定して、甲砲と称して正式に開発に着手、同年六月に呉海軍工廠に対して試作命令がだされた。予定では砲身二門と砲架、砲鞍部を試作するはずだったかが、ミッドウェー海戦後の新戦艦中止に伴って、試作が中止された。〈本文 より〉
N-1082
日米海戦の勝敗を分けたものとは──大東亜戦争を南方で戦った著者が痛惜の思いを込めて活写した独創的戦争論。日米高級指揮官優劣の研究。指揮官名はもちろん、海軍の艦種、艦名、空軍の機種名、性能等はすべて実在したものを使用し、単なる「イフ」ではなく、採用すべき戦略を仮説として展開した。
N-1083
ソ連国境が戦闘状態になった当時、満州北緯三十八度線以北の朝鮮半島、樺太、千島列島には、軍人を含めて二百五十万人以上の日本人がいたとされる。戦前、戦中における立場から一転して、飢餓、極寒、疲労、伝染病、殺人、暴行、強姦、略奪、重労働、屈辱、孤独、絶望──が襲った。本書はその一部の記録である。
N-1084
在留邦人のタテとなり、ソ連機甲部隊の侵攻を阻止した、わずか一個旅団の戦争。敗戦を迎えてもなお、ソ連・外蒙軍から同胞を守るために、軍官民一体となって力を合わせた人々の真摯なる戦いを描く。 ※N-719の新装版
N-1085
「死ぬまで帰れない」と諦念を抱いた外地、はるかに強力な敵が押し寄せた本土の空、それでも誇りと気概を失わず、敢然と矢面に立った海軍戦闘機搭乗員たち──その意気と覚悟にみちた空戦ドラマ。
緒戦時の優勢の空、彼我均衝の前半戦、日を追って戦力差が開く後半戦、そして内地の上空ですら奪われ圧倒された末期の半年間。時期によって得られる功績の多寡、大小は異なり、搭乗員を襲う苦痛と危険に差が生じる。そうした付随要因にたじろがず、交戦を重ねていく。肉体と精神の疲労はいかばかりであったか。〈「はじめに」より〉
N-1086
鬼才といわれた男が日本陸軍にいた──陸軍幼年学校入校以来、秀才といわれながら、時に教官を論破、あるいは無視し、素行に問題ありとされる。しかし、参謀本部で、第一線部隊で、その鋭い視線はしっかりと日本の行く末を見据えていた。何者にも直言をはばからず、昭和の動乱期にブレることのなかった男の生き方。
N-1087
日中戦争の和平を壊したのは米内光政──海軍は陸軍をだまして太平洋へ引きずり込んだ。世に広く浸透した「海軍善玉論」の裏側に秘められた、数々の誤謬と錯誤を直視して戦史の定説に挑んだ異色作。
帝国国防方針により陸軍は大陸、海軍は太平洋と相互不干渉が厳然たる不文律となっていた。ところが戦況悪化に伴う海軍の強い要求により、陸軍は準備皆無の対米戦を戦うはめになった。海軍はそのことを忘れ、太平洋での陸軍の戦いを当然視し、戦いぶりをあげつらうようになる。陸軍の労苦に報いることもなかった。〈本書 より〉
N-1088
空母の惨状をつぶさに伝える戦慄の艦隊決戦記。司令部勤務5年余──主力空母「赤城」「翔鶴」の露天艦橋から見た古参下士官のインサイド・リポート!
真珠湾、インド洋、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦等いくたの艦隊決戦に臨み、つねに空母の露天艦橋にあって、南雲、小沢長官の命令を伝達する責務を負って奮闘した司令部付信号員が綴った迫真の戦闘航海日録。黒煙、火炎渦巻く海戦の艦上で古参下士官が見たものは何か──戦闘下の司令部の実情を伝える話題作。 ※N-468の新装版
N-1089
ジェット機とヘリコプターの台頭、斜め飛行甲板と蒸気式カタパルトの採用。局地戦で見せた空母の最適な運用法──第2次大戦からわずか5年で飛躍的な進化を遂げた航空母艦の戦い。
太平洋での日本との艦隊決戦とは異なり、朝鮮半島という、狭い限定された戦場で運用された空母機動部隊──歩兵砲兵の集団による陣営拡大の地上戦に対して、効率的な間断ない航空攻撃が展開された。ジェット、ヘリコプター、空中攻撃管制システムによる新時代の航空戦を戦った朝鮮戦争の連合軍空母の航跡をたどる。
N-1090
特攻隊員たちは何を思い出撃したのか──人と愛機が一体となり、猛烈な対空砲火をかいくぐって敵艦に突入。陸軍航空特攻隊「万朶隊」、海軍神風特別攻撃隊「敷島隊」をはじめとした特攻の全貌。
航空特攻とはアジア太平洋戦争の後半において、飛行機に爆弾を懸架して、その飛行機の操縦者もろとも連合軍艦船に体当りする攻撃をいう。航空特攻の戦死者三九六七名(陸軍一四五六名、海軍二五一一名)、喪われた飛行機数二五八三機(陸軍一一八三機、海軍一四〇〇機)。航空特攻史研究家が活写した畢生の労作。
N-1091
太平洋戦争劈頭の零戦の戦いから栗田艦隊上空のF6F撃墜、本土上空のB29邀撃戦にいたるまで、実戦の凄まじさを伝える感動の記録──雑誌「丸」に掲載された戦闘機パイロットたちの手記。
戦闘機の任務は、味方飛行機隊の援護、敵飛行機隊の迎撃といっても、いずれも制空権の獲得がそのすべてであったし、空中戦闘法の原則は、変わることはない。一、敵より先に見つけること。二、敵より一メートルでも高度を高くとる。三、つねに僚機との連絡をたもつこと(とくにロッテ編成のときは大切であった)。〈本書 より〉
N-1092
戦争とは、残虐の連続であり、英雄の出現など極めて希である! 凄惨な撃沈劇の裏に隠れた膨大な悲劇。戦史に一時代を画したUボートの戦いで弱者の側を浮き彫りにした異色の海戦記。
第二次大戦中におけるUボートの喪失艦七八一隻にたいし、撃沈された船舶数は二六〇三隻、一三五七万トンに達する。戦争の趨勢を決定づけた大西洋の戦いの表舞台でUボートは凄惨な撃沈劇をくり広げた。高名な潜水艦エースたちの戦いのみならず、沈められる側の記録を掘り起こした知られざる海戦のドラマを描く。 ※N-466の新装版
N-1093
戦艦「大和」のローラー・パスの直径は一二・三メートル、バーベット直径は一四・七メートル、砲室前盾の厚さは六五〇ミリ、側面が二五〇ミリ、後盾が一九〇ミリ、天蓋は二七〇ミリの厚みがあり、その重量だけで七九〇トンあったとされる。この結果、旋回部重量が約二五〇〇トンと駆逐艦一隻分ほどの重量となった。
多連装砲に砲弾と装薬を艦底から運び込む複雑な給弾システムを図説する。砲を搭載することに始まる砲塔の進化と重厚な構造を描く話題作。
N-1094
軍隊を私物化し、エリート意識のみ強く、その本文の戦闘となるや、戦術も戦略もあればこそ、部下を率いて逃避し、攻撃を逡巡し、あるいは部下を放置して我独り逃避するなど、軍人の本分に悖る陸士出身の、上は将軍より下は中隊長まで、何とその数の多きこと──その実体を後世に残さねばと思い、この本を著述した。
最前線で奮戦したのは下級兵士と幹部出身指揮官だ! 愚将のもとで密林に空しく朽ち果てた15万兵士の無念を伝える。憤怒の戦場報告──東部ニューギニア、驚愕の真実。
N-1095
昭和20年、樺太(サハリン)南部で戦われた日ソ戦の悲劇。40万人の民間人を巻き込んだ本土決戦は、沖縄戦の陰に隠れて余り知られていない。しかも、犠牲者のほとんどは、終戦の日──8月15日以降の戦いで出ている。北海道を目指す住民たちの必死の脱出行と、避難民を守らんとした日本軍部隊の戦いを新たな証言を発掘して、再現する!
N-1096
ポーランド戦の痛手を学び、孝撃戦法を確立した独軍西方進攻部隊。二六秒間に三二〇発の弾を射ち込み、退勢を一気に挽回したソ連カチューシャ大隊。不敗のエセックス級空母機動部隊──恐るべき打撃力を集中させた陸海空の最強部隊のその戦術と兵器を徹底解剖する話題作。写真図版一四〇点で捉えた決定版戦史。 ※N-418の新装版
N-1097
241隻の潜水艦を保有し、154隻が太平洋戦争に出撃、127隻が還ることなく沈んだ──日本海軍潜水艦40年の航跡に飛沫となって輝いた百の逸話で綴る潜水艦戦史。
N-1098
空母瑞鶴から見たソロモン海戦―翻る戦闘旗のもと、日米空母機動部隊による手に汗にぎる対決が繰りひろげられた。綿密な取材を積み重ね、貴重な証言、膨大な史料を駆使して世紀の大海空戦を詳細、明解に描き切った珠玉のノンフィクション。日米双方の視点により、戦いの実相を正確に捉えた戦記文学の醍醐味。
N-1099
戦闘経験を積み、チームワークを工夫し、血のにじむような努力によって成長したノヴォトニーのシュヴァルム(四機編隊)。みずからも生還できる戦闘機乗りたらんとして、幾多の撃墜王たちの空戦の極意を会得すべく研鑽を重ねた著者が、不滅の個人スコアを記録した若きエースの激闘の日々と、その空戦技量の真髄を描く。
N-1100
第二次大戦中の日本陸海軍戦闘機の実に六割を生産した中島飛行機株式会社──その歴代の陸軍主力戦闘機、対B29用の高高度迎撃機の開発を手がけた技師が、冷徹な眼で日本と世界の戦闘機を比較し、浮き彫りにする日本航空テクノロジーの実像。“特攻専用機”の汚名をうけた小型攻撃機「剣」開発の過程を初めて詳解する。 ※N-459の新装版