N-801
ベテラン搭乗員の乗った零戦はたしかに強かったのか。日本軍のどこが弱点で、米軍の強さはどこにあったのだろうか。雷電、銀河、四式戦闘機、乱用に耐える兵器として誕生することなく、用兵者に無理強いされた最前線の機体―そして航空機に携わった関係者の不断の努力と苦闘の日々を描く知られざる戦場の物語。
N-802
黎明期の青島航空戦に始まり、ノモンハン、中国戦を経て、太平洋戦争の本土防空に至る日本陸軍航空の総括!大正4年、所沢に初の航空大隊が置かれて以来、30年間の航跡。/◆あけぼの◆太平洋戦争の勃発◆好取り組みの時代◆押し戻される日本軍◆苦境にたつ日本空軍◆ああ、特攻◆空挺部隊かく戦えり◆本土防空作戦◆沖縄特攻◆本土決戦
N-803
狂気の戦場のただ中でいとなまれた名もなき兵隊たちの日常と生と死のドラマ―元朝日新聞記者がインタビューを積み重ねて再現する異色のドキュメント!/狂気の戦場のただ中でいとなまれた、名もなき兵隊たちの日常と生と死のドラマ…。元朝日新聞記者が、全国のあちこちを尋ね歩き、最前線で散っていった「無言の兵士」たちの戦歴とその周辺を取材しまとめる。(『兵士の沈黙』改題)
N-804
空前絶後の“ロケット特攻機”最後の切り札・神雷部隊の死闘。陸攻の懐に抱かれ、人間爆弾となって敵艦に突入する特攻隊員たちの挽歌。一機一艦を屠る熱き思いに殉じた空の男たちの肉声。表題作の他、4編収載。/◆人間爆弾「桜花」発進(佐伯正明)◆壮烈 神雷陸攻隊出撃せり(酒井啓一)◆かげろうの生命(大沢博)◆特攻「桜花」よ碑銘をかざれ(伊藤久男)◆若者は母なる陸攻に抱かれて(武田剛吉)
N-805
なぜ石原莞爾は満州事変勃発時に関東軍作戦参謀なのか。なぜ辻政信は失策しても要職を渡り歩いたのか。栗林忠道は懲罰人事によって硫黄島に派遣された……。日本最大の組織・帝国陸軍の複雑怪奇な“人事”を解明する! →新装版(N-1136)アリ
N-806
太平洋戦争中の海軍飛行艇はわずか三隊、常備機数合計は五〇機足らずであった。華々しい攻撃隊のかげにあって、作戦の捨石的存在となり、労多くして報われぬ索敵行に従事し、南溟の空に北辺の海に黙々と大任を果たして倒れた隊員たち。最後の飛行艇を米軍に引き渡した隊長が亡き戦友たちの奮戦の跡を辿る感動作。
N-807
日本人が生んだ傑作機零式艦上戦闘機。太平洋戦争は、零戦によって計画され、戦われたといわれる。―日本の運命を託された零戦に、青春のすべてを賭けて戦ったパイロットたちの臨場感あふれる空戦記録。真珠湾、ミッドウェー海戦、北方アリューシャンからソロモン撃滅戦、最前線で激闘を続けた母艦零戦隊の戦い。
N-808
砲弾うなる戦いの海、死線彷徨のシケの海、「死んでも舵輪は離しません」―グッとこらえてコンパスにらむ舵取り魂ここにあり!一身一艦の命運を両手に握った操舵員のすべて!/海軍では、舵輪のマークは花形であった。舵取りは勘がよくないと勤まらない。動作もキビキビしていないと舵は動かせない。一秒、あるいは十分の一秒のわずかな転舵の遅れで、雷撃をまともに受けてしまうことになる。このため、厳しい規律が要求された。これを一口で言うならば「舵取り魂」であろう。(本書より)
N-809
栄光の連合艦隊主力四〇〇隻を紹介する決定版軍艦ハンドブック―航空母艦、戦艦、重・軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦を各型別に分類、各艦の戦歴・特長などを分かりやすく解説する。写真一二〇点、ウォーターライン側面図八三点、個艦別要目一覧一四ページを収載。日本海軍の艨艟が一目で分かるファン待望の一冊。
N-810
経済危機と民族紛争を抱えたロシアは“北海道”に侵攻した。自衛隊は単独で勝てるのか?『尖閣諸島沖海戦』に続く第2弾。/脅威は意図ではなく能力で判断すべき、というのが日本政府の見解だ。ロシアの能力が北海道侵略に使われたらどうなるか、シミュレーションするのには、それなりの意味がある。百年兵を養うは一日これを用いんがためであり、いつ起きるかわからない国家的危機に備えるのが、政府の責任であり国防組織の務めである。〈おわりに より〉
N-811
太平洋戦争において日本軍善戦の地として聖地化された硫黄島。その戦場の実態とはいかなるものだったのか。水もなく食糧もなく、島内を彷徨い、あるいは壕内でその身を横たえ、ひたすら米軍の攻撃に耐えた日本軍将兵たちの心情とは。極限状況を生きのびた人間の真実の証言によって凄惨な戦場の実想を再現する。
N-812
日本人が生んだ傑作機零式艦上戦闘機。太平洋戦争は、零戦によって計画され、戦われたといわれる。消耗戦に疲弊したラバウル戦闘機隊など、太平洋の各地で壮絶に展開された基地航空部隊の激闘と、マリアナ沖、比島沖の航空決戦に挑んだ母艦航空隊の戦い。愛機ZEROと共に戦い抜いたパイロットが綴る迫真の手記。
N-813
「パンツァー、フォー!」静寂を破って急襲を開始したドイツ機甲軍団。土煙を蹴立てて疾走し、防衛戦を突破してつぎつぎと襲いかかる。奇襲に慌てふためく敵兵は大混乱となり、大地は血に染まる。手に汗にぎる息づまる死闘のかずかず。激戦場の戦闘シーンを臨場感あふれる筆致でつづったドイツ戦車戦ストーリー。
N-814
祖国、任務、部下のために身を投げ出す人間は歴史の裁きに対して、いささかも恥じることはない。立身出世とは無縁であるが、“指揮官顔”をして黙々と任務にはげみ、時期が来れば静かに表舞台から去ってゆく。陸上自衛隊にはこのような指揮官が多く存在する。部下を持つ者の切実な心構えを体験的に描く感動の物語。
N-815
「隼」「疾風」「銀河」を量産する中島飛行機製作所を創立した創意工夫に富んだ男の生涯を直木賞作家が描く感動作。米本土爆撃計画を立案、予言者とも称された日本人離れした大経営者のグローバルな構想。/中島知久平の性格を総括すると、高等数学的な計算に裏打ちされた緻密なリアリストと壮大なロマンチストのミステリアスな複合体に強烈な統率力とバイタリティを与えたものといえば、一応の分析になるであろうか。中島知久平はそのスケールの大きさと行脚の強さにおいて生まれる国と時期を間違ったような気がする。〈あとがき より〉
N-816
日本人が生んだ傑作機零式艦上戦闘機。太平洋戦争は、零戦によって計画され、戦われたといわれる。直掩として、特攻隊員として“必死”の作戦に投入され、辛くも生還し、または敵の新鋭戦闘機や高々度で飛来する“超空の要塞”に果敢に挑んだ搭乗員たち。最後まで第一線で戦い続けた零戦を描いた迫真の空戦記。
N-817
満州の中の日本を探してロシア・北朝鮮の国境を行く!/安東駅に降り立った瞬間、目の前に浮かんだのは、既に他界した父の顔であった。安東は私の故郷であると同時に、父の町だったのである。雑踏を歩きながら、父とよく似た現地人を見かけるごとに、私の時空は後戻りを始めた。(あとがきより)
N-818
実戦の結果からも、多段式飛行甲板には多くの問題が存在することが明確となり、「赤城」と「加賀」は一段式飛行甲板型の航空母艦に大改造されることになった。改造に際して得られた様々なノウハウはその後建造された日本海軍の航空母艦の設計に活かされることになったのである。図版・写真百四十点で見る巨艦の変遷。
N-819
部下を持つ立場となった人間はどう行動すべきか。戸惑いながらも仕事に邁進し、ひたむきに生きる一海上自衛官の物語。遠洋航海から帰り、思いも新たに初めて勤務した護衛艦で水雷士となった、三等海尉の一年間をつづり、着任から訓練、演習、そして転任まで、若手幹部が汗と涙で接した艦船勤務の日々を描く感動作。
N-820
日本の危機を救ったもう一人の立役者!指揮官東郷平八郎と作戦参謀秋山真之の間に立ち、それぞれの能力を思う存分に発揮させ、日本を亡国の淵から守りぬく、寡黙にして、功を誇らぬ武人の真実―加藤友三郎が心をゆるし、東郷が「知信仁勇厳」を備えた武将とほめたたえた、類いまれなる明治の名将を描いた人物伝。
N-821
キャタピラの響きも高らかに猛進する電撃戦の主役たち。乗り越え踏み越え、砂塵をあげて疾駆する逞しき綱鉄の戦士たち。つねに先鋒となり、奮闘をかさねた日本機甲部隊の栄光と悲劇。表題作の他4編収載。/◆わが戦車隊ルソンに消えるとも◆あゝ特攻戦車挺身隊◆堅陣「ジットラ・ライン」奇蹟の突破行◆勇猛「佐伯挺進隊」マレー戦記◆少年戦車兵泣き笑い虜囚記
N-822
英国海軍に対抗するため大型化と個艦性能優越に賭けた、ドイツ海軍を支えた陰の功労者。ワイマール時代からソビエト軍包囲下の避難航海まで、『ドイツ海軍の軍馬』として働いた、その実力を詳解する。/ドイツ駆逐艦は戦争において最も重要な機械の信頼性の低さによって稼働状況が悪かった。また、決定的な要因としては深刻な燃料不足は海軍中枢の作戦立案能力を奪ってあらゆる作戦の実行を不可能にした。それでもドイツ海軍の中で『軍馬』のように最も活動的であったのは、駆逐艦と水雷艇だったことに異論はない。〈本文より〉
N-823
なぜ、近代化がおくれたのか?世界中を驚かせた“大飛行”を成し遂げたイタリアの底力。武骨だが魅力的な機体の数々!イラスト・三面図・写真など150点で見る異色の空軍力。/「イタリアは三国同盟の中で、最も早く一九四三年九月に降伏……」というのが学校での近代史の説明で、実際、この説明でも誤りとはいえない。しかし、これでイタリアの戦争が終わった訳ではなかった。むしろ、イタリア空軍はふたつに分かれて、敵味方になり戦い続けるという、悲劇的な局面を迎えたのだった。〈本文より〉
N-824
昭和二十年八月十五日、終戦。瞬く間に朝鮮半島北半分を占領したソ連軍の中を十数名の脱出兵士は米軍管轄下の南部をめざす―日本人「難民」の群れに襲いくるソ連兵の暴虐の嵐と保安隊の執拗な敗残兵狩りに遭遇しながらも、からくも故郷に生還するまでの三ヵ月間の過酷な逃避行を描いた感動のノンフィクション。
N-825
伝説の英雄“砂漠の狐”エルヴィン・ロンメルの戦い!「パンツァー、マールシュ!」砂塵を巻き上げ疾駆するアフリカ軍団―つねに最前線に立って陣頭指揮をとった闘将の機知戦略とは!?手に汗にぎる戦車戦のかずかず!/スピードで連合軍を圧倒し、突破口を切り開いて急進撃をつづけるドイツ機甲師団――しだいに物量を誇る連合軍に苦戦をしいられるようになり、補給物資の不足にも懊悩しながら、奇策で危地を脱する知将ロンメルの最前線の戦い。広大な砂漠を舞台に繰り広げられる死闘のかずかず。戦車砲がうなり、機銃が吠える!
N-826
太平洋戦争中に使用された機体、試作機が完成状態となった機体。エピソードの裏にひそむ汗と涙、海軍機に対する理解が深まる航空ファン待望の解説書。戦闘機から練習機まで、各機データと写真120点を収録。/太平洋戦争の戦史や回想記を読んでいて登場する兵器のデータや評価を知りたくなったことは、誰にもあるに違いない。そんなとき該当する内容のものが軽装の小型本や冊子にあればたちまち用が足り、読書の興がそがれなくてすむ。しかも、記述が正確で、それ自体を読んでも楽しめるレベルなら、なおさら結構だ……。(はじめに より)
N-827
素朴な暮らしから一転して、最も悲惨なビルマの戦場で戦った兵士が、戦争の実相を赤裸々に綴った感動の手記。/父の世代が戦った戦争の悲惨な実情は、現代ではあまりにも希薄なものとなっています。父の描いた戦場でのひとつひとつの出来事が、戦争の真実の姿をありのままに伝えてくれるものと思っています。現在でも世界の至るところで紛争が生じており、私には父の戦場における思いが時を越えて蘇ったような錯覚を抱きます。(あとがき より)
N-828
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、そして日中激突となった十五年戦争―昭和十二年七月七日、北京郊外盧溝橋。支那駐屯軍新設から「泥沼」と称される長い不幸な戦いの実相を報道班員の眼がヴィヴィッドにとらえた異色歴史読本!混乱する陸軍中枢と収拾策に努める政府。対峙する第一線の実態を踏まえた話題作。
N-829
知られざるサブマリンの戦い。一発必中。“虎の子”の魚雷を抱いて縦横無尽。むくつけき深海の男たちの熱き人間愛!一蓮托生の身であれば、艦長も水兵も分け隔てなく、あけすけな、和気あいあいの海底生活。/艦長だからといって、とくに上等な寝台ではない。顔の上には油圧管だの、排気管、電路線だのが、ついている。うっかり手を伸ばしてあくびでもしようものなら、管にぶつけて、すり傷をつくりそうな狭苦しさだ。潜水艦乗りは上陸して青畳を見ると、涙にうるみながら大の字になって伸びをするのが楽しみだった。
N-830
大きな砲を積むには大きな船体が必要であり、自らを守るには分厚い鉄板で覆われるようになる。そして、際限のない大型化の時代が訪れた。戦艦とは呼ばれなかった艦艇の、戦艦に挑んだ奇想天外な発達史。/蒸気機関を始めとする動力機関が機械や船舶に適合されると、船舶設計の自由度増加と武器の多様化により、さまざまな軍艦が建造された。それでも二〇世紀の初頭までは、大砲が軍艦の持つ破壊力をほぼ専有していたし、陸上へ投射できる破壊力としては唯一のものだったから、その大型化は避けようのない問題だった。〈まえがき より〉
N-831
なぜ、新型機は第一線部隊に配備されなかったのか?流麗なフォルムを見せるものとこの世の物とは思えない機体。電撃戦には敗れたが魅力的なフランス機の数々!イラスト・三面図・写真など150点で見る異色の空軍力。/高性能なフランス機は生産の遅延や補給体制確立の不徹底により大きな戦力とはならなかった。順調に生産が進んでいた機体は開発方針の甘さが招いた低性能により有能な実戦機とはなり得なかった。これはナチスの脅威を目前にしながらも必要な対策が図れなかった軍事産業育成、保護の失敗の残念な事例といえるだろう。〈本文より〉
N-832
手榴弾の安全栓を抜いて、銃を持ち替えた。先頭を行くのは私だ。腰をかがめて十メートルくらい進んだ時、バリバリパーンと撃たれた。「やられた」と叫びながら木陰に倒れ込んだ。横腹から血がでているが多くはない。腰の物入れのクレオソート丸の瓶が吹き飛んで無くなっている。お蔭で私は助かった。(本書より)
N-833
東京、名古屋、横浜、大阪、神戸…日本全土の家々は、多くの人命と共に、なぜ、かくも無残に焼き尽くされたのか。B29の焼夷弾の雨にさらされた著者が世界の戦史の中でとらえた被災地の衝撃の記録。/石原莞爾が錦州に投じた七五発、そして井上成美が立案推進した重慶に落下した一万と二一発の爆弾は、いかなる経緯と変遷をへて超空の要塞B29の大群となり、東京を、日本全土を灰燼に帰したのか。悪魔の具と化した航空機の発展と相俟ち、ロンドン、ハンブルグ、東京、広島へとエスカレートしていく無差別爆撃の悲劇。〈本文より〉
N-834
航空戦艦も航空巡洋艦も結果的にはその任務に適用できる航空機が存在するか、否かが鍵となる。航空機の急速な発達は中途半端な規模の航空母艦設備をもった感での運用は不可能になるからである。その不可能を可能にする航空機の開発が行われているか否かが、近代的な航空戦艦と航空巡洋艦の存在を可能にする。〈あとがき より〉
N-835
ともに新しい陸軍を願い求めながら、統制派と皇道派はなぜ対立したのか!両派の間に立って東条内閣打倒、戦争終結に心胆を砕く近衛文麿を中心に、元憲兵隊司令官が各派抗争の歴史と政財官各界の相関関係を明らかにする。/近衛と、戦争政治の主導力をなしていた陸軍との関係、そしてそこから生まれた「近衛上奏」の意図するところを見ていくことは、まさに日本現代史の中心部の一角に迫るものといえよう。けだし「軍と政治」は昭和動乱の中心課題であり、近衛をふくむ「宮廷政治」もまた、その歴史のたどりつく奥辺であるからである。〈あとがき より〉
N-836
P38は高空から偵察、B25は低空で乱射を加え、B17、B24は爆弾を投下する。炎天下、防暑帽、半ズボンに地下足袋、上半身裸で円匙、十字鍬を手に、弾よけの鉄帽を背に負い、滑走路の弾痕修理、誘導路や掩体の整備にあたった基地隊員の苦闘を描く―飛行場勤務に従事した第二十二飛行場大隊の知られざる記録。
N-837
最強ドイツ重戦車「ティーガー1」の鮮烈なるデビュー。敵将兵を震撼させた無敵ティーガー伝説が今はじまる―八・八センチ砲が吠え、マイバッハ・エンジンが唸りをあげ、銃砲弾を跳ね返して五七トンの巨体が敵陣へと疾駆する!逃げまどう敵兵を蹴散らし、圧倒的な強さを見せつけたドイツ陸軍傑出戦車の激闘。
N-838
砲・工兵として陸軍士官学校を卒業した候補生はさらに砲工学校で学び、高等科に進んだ中から最優秀者を選抜、帝国大学で専門知識を研鑚させる員外学生制度。作戦優先思想のもとに技術を追従させる陸軍の旧弊において、陸軍大学優等組にも遜色のない実力を発揮した技術系高級将校―知られざる員外生の実態を描く。
N-839
なぜ、独ソ開戦後も木製構造の機種を生産していたのか?輸送機、練習機までも実戦機に転用させるソ連軍のプロフェッショナルな機体の数々!イラスト・三面図・写真など170点で見る異色の空軍力。/ソ連の航空工業は地に足が着いた戦争の準備をしていた。軍用機は生産性を考慮して開発され、工場も疎開先での生産を意識していた。全金属製のより近代的な機種も戦略物資の逼迫を想定していて、木製かを実現していた。有名なIl-2も大戦中に現われた機種だが、木製構造による高い生産性を維持していたのだ。〈本文より〉
N-840
顔も凍る零下30度、強制収容所での原体験。劣悪な条件のもと重労働に駆り立てられ、粗食に耐え、望郷の思いのみを抱いて生きぬいた悲しき俘虜記。陸軍航空特別幹部候補生が赤裸々に綴る。/凍傷は日増しに悪くなった。食事をするにも、話をするにも、口が思うように動かない。呼吸をするのも苦しい。気力も体力も限界に達していた。死ぬ前に一口の米の飯が食べたい。米の飯が食べられたら、今すぐここで死んでもいい。腹いっぱいとは、だれも言わない。それは到底かなわない願いである。(本書より)
N-841
重巡洋艦「妙高」に乗り込んだ、初陣のスラバヤ沖海戦を皮切りにして、駆逐艦「親潮」乗組となって比島戡定作戦に、ミッドウェー攻略作戦に従事し、その後ソロモン海の最前線に転戦、また伊47潜航海長として、「回天」出撃に際会した青年士官が万感の思いで綴る日本海軍の弔鐘―海軍の欠陥を示す慟哭の一冊。
N-842
第二次大戦下、ドイツ軍とソ連軍の間で繰りひろげられた“クルスクの攻防戦”。史上最大の戦車戦と称される一大決戦の実態とは、いかなるものだったのか―ソ連崩壊時に明かされた新事実に照らし合わせ、戦術、政治、人物、兵器など、さまざまな視点から再評価し、大会戦の全貌に迫る。写真・図表一〇〇点収載。
N-843
高松宮はいかに終戦工作にかかわったのか―その全貌を膨大な史料、証言から明らかにする。つねに四歳年上の兄・裕仁天皇を思い、日本の行く末を憂えた宣仁親王の半生。いままで知られてこなかった真の人物像を浮き彫りにする感動のノンフィクション!終戦への道程を詳細、明解に書き綴った昭和の戦争裏面史。
N-844
敗戦から64年―元予科練少年兵が真実を綴る渾身の1冊/戦時下に青春時代を迎えた著者は、15歳で憧れの「七つボタン」海軍飛行予科練習生に。そこでは厳しい現実が待ちかまえていた。少年は苦難に涙しつつ、その軍隊をどのようにくぐり抜け、戦後の生き方を見いだしたのか。「時代」と「人間」を克明にえがく記録は、歴史的な価値がある。また真実な魂の告白は、誰の胸をも打ち、現代の若者を激励する。戦前の家族の姿、特に両親、学校の先生、海軍の教員、戦後信仰に導いた青年牧師など、人間を真実に見つめ描くドラマで、今の時代にも感動をもって面白く読める文学と言える。
N-845
死を余儀なくされた太平洋戦争の戦場で日本人は何を思い願い、その最後の時を迎えたのか。また極限の激戦場で将兵は、どのように戦い、死んでいったのか―。内外の名著・佳編五十篇で、対戦国でも称賛された日本軍兵士の本当の姿を知る異色の日本人論。玉砕戦という悲劇から忘れてはならない平和の尊さを学び知る。
N-846
連合軍が「ヘルシップ」と呼んだ恐るべき捕虜輸送船の実態!/劣悪な環境の中で輸送される捕虜たちは、味方の攻撃により命を失うことになった−。南方各地の捕虜を日本に輸送した捕虜輸送船の恐るべき実態を明らかにする。戦後日本沿岸の触雷事件も収録。
N-847
「死ぬために生きてきた日々」いまも著者の耳に残る、若き特攻隊員のつぶやき―若者に課せられた運命として、これほど過酷で凄惨なことが他にあるだろうか。/…私にはたくさんの戦友がいた。そしてそのほとんどが死んだ。むかし、私の仲間にこんな連中がいた、ということをみなさんに紹介してみたい。その男たちは蒼空に短い己の航跡を刻んだパイロットたちである。私の心は、いまなお、その男たちといる。〈序 より〉
N-848
零戦隊、陸攻隊とともにニューギニアの空でソロモンの空で、陸戦掩護に敵艦船攻撃にと出撃した急降下爆撃隊の航跡。部下を掌握し、隊長、分隊長を補佐して戦い続けたベテラン搭乗員が若き大空の戦士たちの素顔をつたえる。ブナ敵輸送船団攻撃を皮切りに、ブーゲンビル島沖航空戦まで戦い抜いた一年四ヵ月の記録。
N-849
弾丸とびかう絶体絶命の大空に発揮された海鷲たちの真価。最高最大の戦闘力を結集し、人と機が一体となって、凄まじい気迫とともに敵機群に立ち向かう空の男たちの奮闘と哀歓の日々。表題作の他4編収載。/◆「紫電改」戦闘機隊サムライ戦記(角田高喜)◆さらばラバウル航空隊(堀知良)◆私記横須賀航空隊興亡記(田中悦太郎)◆沖縄「天山」雷撃隊出動始末(内海米吉)◆最後の局戦「秋水」は大空に任りや(松本豊次)
N-850
初期ジェット機の試行錯誤の魅力!レシプロ機の到達できない高速域をめざしたドイツと少数の枢軸国機、そしてイギリスを筆頭とする連合軍機―スタイルの変遷から戦術にいたるまで大戦期ジェット機の全て。Me262の出現からP‐80までを図面で詳解。/Me262が今日でも人気機種である理由は、初期ジェット機が陥りがちな落とし穴にはまらずに、できる限りの工夫と偶然の結果、時代の壁を打破した傑作機として完成していたからだろう。その工夫とは高翼面荷重、薄翼厚、オムビ型の断面胴体、偶然とはエンジンの大型化による重心移動に対応する後退翼化であった。〈本文 より〉
N-851
海上自衛官として最も油の乗りきった、自分たちが海上自衛隊をしょって立っているとさえ自負する。生意気でもあり、頼もしくもある若き幹部たち。一等海尉に昇任して四年、部下の掌握に苦闘し、“先任士官”としての責務を果たしながら日々、研鑽を積む一自衛官とその生活を描いた感動作。帽ふれシリーズ第二作。
N-852
最悪の戦場に地獄を見た!食料も弾薬も届かぬ瘴癘の地で、過酷な運命に翻弄された兵士たちの絶叫。若き第一線指揮官の戦場報告。/戦後六十年余りも経ってしまった。亡くなった戦友の四倍も生き長らえてしまった。ありきたりの文句になるが、事実七回は死んであたりまえ、死ななかったのが不思議なあの戦争を振り返る時間が出来てきた。若い皆さんに戦争の実態を知っていただき、今なにをすべきかを考えてもらいたいとの思いでまとめてみた。〈あとがき より〉
N-853
秘密兵器パンター戦車登場―「パンツァー、フォー!」クルスクの戦いに投入された新型戦車が進撃を開始した。「フォイエル!」パンター戦車の七〇口径七五ミリ主砲の威力は圧倒的だ。「射撃距離ゼロ」独ソの戦車が入りみだれて混戦となった。ティーガー戦車がT34に近距離で発砲する。戦場は炎に包まれている。
N-854
歴史のはるか遠い所に忘れられたままの知られざる「連合艦隊」のリーダーたちの堂々たる生涯──つねに最前線の戦場で戦いつづけた気骨の軍人たちの生き様をえがいて感銘を呼ぶ話題の海軍人物伝。海軍の中間管理職に立つ者として、部下将兵を率先垂範し、任務遂行に邁進した八人の指揮官の清新な軍人魂を伝える。 ※N-379の新装版
N-855
第二次大戦時に世界最大規模といわれたドイツ国防軍情報部をひきいたカナリスとはいかなる人物だったのか──国家のため、情報戦に心血を注ぎながら、一方、反ナチ主義で、反ヒトラー運動を密かに展開したというその数奇な運命とは……。非業の死をとげるまでの足跡と、ドイツにおける諜報戦の全貌を描いた異色作。
N-856
明治につくられた「国民の軍隊」は大正、昭和という時代への変遷で、いかにして「皇軍」へと変わっていったのか。満州事変を始め、世にいわれる昭和の動乱は軍部を政治へと驀進せしめ、日中戦争、太平洋戦争へと破局の道を走り続けた。驕慢による軍の独走、国軍の実を失い、国民の心とはなれた推移を解き明かす。
N-857
全長約五メートル、排水量約一・五トン、軍用トラックに搭載するエンジンを流用、二百五十キロの炸薬を装着して敵艦船に突入する―大戦最後の一年に合わせて数千隻が量産された、陸海軍の特攻艇。華ばなしい航空・水中特攻の陰に隠れて忘れ去られようとしている水上特攻隊の全貌を日米の記録を照合して解明する。
N-858
私たちの陣地は連日、敵の猛砲撃をうけ、硝煙につつまれていた。関東軍の精鋭たちも過労と飢餓とマラリアの高熱のため痩せ衰え、皮膚は黒ずみ、まさしく地獄図そのものだった。食糧を得るため、砲煙弾雨のなかでイモ掘りをした。敵の観測機に見つかると、すぐに正確無比な砲弾が飛来し、煙と土ぼこりが立ちこめる。
N-859
F86セーバー対ミグ15の初の空中戦からシュペール・エタンダールとハリアーのフォークランド紛争まで、二次大戦後のジェット機同士の“高速空中戦”の歴史をイラストと写真で綴る話題の空戦記録。空対空ミサイル、超音速、可変翼の出現、先鋭化する機能を持つジェット戦闘機の新しい戦いの実体を描いたドキュメント。 ※N-448の新装版
N-860
反日政策の行きつく果ては何か!韓国大統領は、韓国軍は、本気で日本と戦うのか!自衛隊は単独で「失われた領土」を取りもどす戦いをする…。/友好を維持することが第一だが、相手が望まなくなればこちらの努力は無になる。日本の安全保障は従来、ソ連、北朝鮮、中国に重点を置いてきた。しかし、最も近い隣国で順同盟国だったはずの韓国の脅威は却って深刻ではないのだろうか。戦争は起きないことに越したことはない。しかし、備えなければ起きるものである。〈あとがき より〉
N-861
君は日本の領空に接近中である。このまま進めば領空侵犯する。変針せよ! 航空訓練展示や航空祭だけでは理解し難い、わが国領空のはるか上空において、外国機と直接対峙する緊張感。東西冷戦時代の緊迫した状況を活写。/外交という国家主権を担った槍の穂先にいるパイロットはスクランブルに際し、ちょっとした油断や失敗も許されない。訓練の成果を発揮して、スクランブルで外国機と対峙する緊張感は、各基地で行われる航空祭などではどうしても理解していただけない部分があるので、何とかこれを理解していただこうと考えた。〈まえがき より〉
N-862
真珠湾攻撃は本当に騙し討ちだったのか。「打たせて撃つ」というホワイトハウスの策謀で、罠にはめられているとも知らず果敢に真珠湾をめざした、聯合艦隊機動部隊の苦闘の記録。ハワイのアメリカ人や日系人、日本領事館を取り巻く関係者など、新しい視点から挑み、秘史・秘話で綴った史上最大、真珠湾作戦の真相。
N-863
沛然と降る雨にうたれ“白骨街道”に潰えた日本兵の慟哭! たえがたき酷熱に喘ぎ、敵の猛攻に呻いた生き地獄―不屈の精神力を発揮して人跡未踏の密林を戦いぬいた戦士たちの鎮魂譜! 表題作の他4編収載/「最悪の戦場ビルマ戦線」(西島日出夫)「死んでたまるか」(田中稔)「参謀と兵と将軍と」(岩原寛一)「日本陸軍敗れたれど」(増田与一郎)「月明に消えた肉迫特攻隊」(土屋英一)
──突然、軽機関銃の音がひびいた。「狙われた!」と直感した私は低く地面にひれ伏した。徐々に鉄帽をあげ見まわすと、戦車の砲塔が二つ見えた。待っていたとばかりに軽機の弾丸が飛んでくる。のどが渇いてひきつるようだ。身を伏せながらふと横を見ると、スミレの花が咲いている。私の心は、ぐっと冷静になった。(本書より)
N-864
比類なき大海軍記者が綴る感動の太平洋海戦史―連合艦隊の死をなげきとむらう者がないのを憤り、悲しみつつ、「連合艦隊の最後」を認めた著者が、さらに年をへて、ほとばしる情熱のすべてをかけて綴った“伊藤戦史”の掉尾をかざる不朽の名著。 ※N-128の新装版 →新装解説版(N-1307)アリ
N-865
高速で飛来する航空機に対し、高角砲と機銃を駆使して艦船はいかに戦ったのか。圧倒的な数を集中させた雷爆撃を行なう敵機を迎え撃つ特異な艦艇。英米日で実用化された「防空艦」の実態を図版と写真で詳解する。/太平洋海域の海戦では艦艇の防空機能が高められ、極端な対空火器搭載艦艇へと進化してゆくことになった。日本海軍とアメリカ海軍の艦艇は、多数の高角砲と機銃を装備することにより、その艦姿はハリネズミの様相を呈することになった。この段階でもはや防空艦とその他艦艇の区別はつかなくなってしまうのである。
N-866
戦時には艦の被害を最小限に止め、効果的に艦を運用、平時には艦の実力を最高にたもつため、乗組員を教育、訓練する―ハイテク化の進む護衛艦であっても変わらないシーマンシップ。自らの信念の下に有事に備えて、艦長という職責をまっとうすべく邁進する二等海佐の姿を描いた感動作。帽ふれシリーズ第三作。
N-867
昭和十八年八月、ラバウルで編成された四航軍は、ニューギニア、フィリピンと撤退をつづけ、特攻隊員を送り出した軍司令官の台湾脱出の後、昭和二十年二月、解体される―中支那主計下士官候補者隊での教育を経てマニラに赴いた司令部付主計兵が見た四航軍始末記。空に海に陸に散った下級兵士たちの無念を綴る。
N-868
戦艦「大和」から小艦艇にいたるまで、かずかずの艦艇に乗り組み、死闘の海原に出撃した歴戦の下士官の艦隊ぐらし。そびえ立つ水柱の間隙を縫い、爆撃をかわし、魚雷を回避して決戦海面を縦横に疾駆した操舵員アラカルト。ハワイ、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ海戦で戦った「愛宕」「大和」操舵員の青春。
N-869
「勇猛果敢の眞実」ともいふべきものの自己証明の文学―と、三島由紀夫氏が絶賛したアンガウル玉砕島兵士の証言。二十倍にものぼる圧倒的な米軍との四十日間におよんだ“鉄と肉体”の凄惨な戦いを赤裸々に描き、南海の孤島に斃れた千百余名の戦友たちの“声なき叫び”をつたえる感動のノンフィクション戦記。 ※N-135の新装版
N-870
連合軍は最先端の攻撃兵器用推進技術が遅れていたにもかかわらず、十年近くも技術が進んでいたドイツに勝利したのは、無難で確実な技術の積み重ねとそれらの有効活用によるとみられている。米国はロケット推進誘導弾の実戦投入も試みられたほどだったが、ドイツ降伏前後にはソ連と争ってロケット技術を接収した。
N-871
主砲をすべて前甲板に集めて、後甲板を航空兵装として特異なシルエットを持つ利根型重巡洋艦―従来の一万トン型の巡洋艦に比して、水偵搭載定数を大幅に増やし、偵察力を重視した航空巡洋艦と呼ばれた利根と筑摩の戦い。日米戦争の前哨戦の主役を演じるために誕生した、海軍の期待を担った新鋭艦の波乱の生涯。
N-872
一九九一年四月二十六日、部隊は出港の日を迎えた。派遣の大義名分は戦争ではなく、平穏な海をとりもどすための平和目的―しかし掃海の任務につく者からすれば、いささか違う。依然として恐るべき破壊力を持った機雷と戦う掃海屋にとっては、戦場に赴くのも同然であり、当然被害を想定しなければならなかった。
N-873
次代の連合艦隊司令長官と目された逸材山口多聞少将―米国駐在武官としての見識を持つ航空隊司令官として、太平洋戦争緒戦の勝利からターニング・ポイントといわれるミッドウェー海戦で敢然と敵に立ち向かい海に果てるまで、卓越した戦闘指揮ぶりを発揮しつづけた名将の生きざまと海戦の実相をえがく感動作。
N-874
海軍は特攻機による沖縄総攻撃に呼応し、世界最大最強の戦艦「大和」を水上特攻に投入した。随伴する最新巡洋艦「矢矧」と歴戦駆逐艦八隻―昭和二十年四月七日、護衛機なき日本海軍最後の水上艦隊は、いかなる最期を迎えたのか―敗れても悔いなき戦いを演じた「大和」艦隊乗員の各艦それぞれの死闘を克明に綴る海戦記。 ※N-458の新装版
N-875
水雷は消極的ともいえる待ち伏せ兵器をいかに能動的に用いるかという、工夫により生み出された。その初期、一〇メートルもない棒の先に取り付けた水雷を、敵弾を浴びるような状況下で敵艦に押し付け、爆発させるという戦闘を行う心理が、勇気とか度胸という言葉で言い表わしきれるものでないのは明らかだろう。〈おわりに より〉
N-876
自衛艦は軍艦か? 防衛の本質とは──常に海上自衛隊の有り様を念頭におき、海上部隊指揮官としての使命を遂行せんと奮闘する一等海佐の物語。日夜厳しい訓練にはげむ隊員たちを見守りながら、自らの信条を崩さず、海の護りに任じる一海上自衛官の心意気と艦隊生活の全てを描く感動作。帽ふれシリーズ完結篇。
N-877
日本軍兵士二十万、うち戦死者十八万。明日なき戦場で過酷なる運命を背負い、命を賭けて戦った最下級兵士たちの思いを綴るノンフィクション戦記。峻険寒冷の岩肌に若い生命を散らした数多の戦友たちの奮闘と最期、長年月にわたり探し集めた生存者の証言をまじえ、紙一重で生と死を乗り越えた自らの体験を描く。
N-878
1995年3月20日、東京を襲った未知の恐怖。死者12人、重軽傷者5500人以上を数えた未曾有の化学兵器テロの現場へ、「災害派遣」出動を命ぜられた陸自連隊長の長い長い1日。猛毒サリンの潜む地下鉄構内に部下を送り込まねばならなかった指揮官の苦悩、そして最前線の隊員たちの恐怖と苦闘を初めて明かす、生々しい真実の記録。
N-879
〽エンジンの音轟々と、隼はゆく……。映画に歌に謳われ、矢印のマークと共に広く親しまれた栄光の戦隊は、加藤戦隊長亡きあと、いかに戦いを続けたのか。第二中隊長として着任以来、戦勢かたむくビルマにあって、飛行隊長、最後の戦隊長と重責を担い、若き部下の苦闘とその最後をみとった空の男が綴る空戦記。 ※N-206の新装版
N-880
「いったん敗北して、そこから新生日本を作り出すことによって、国民にその旺盛な士気と自信を自覚させる。その力が戦後の建て直しに不可欠なのだ」それが「特攻を出さずに負けたら、真の亡国になる」の主旨である。大西は目の前の敗北よりも、ずっと先の「負けて勝つ」に視野を置いて、長いスパンで考えていた。〈本文より〉
N-881
この島に来た日本の若者たちは、自分たちが地球上のどこにいるのかもよく知らないまま、祖国のためであることを信じ、至近距離の殺戮を繰り返した。死臭と硝煙に覆われた戦場で、疲労と飢え、死の恐怖、そして肉親や妻子と会えないまま死に別れる哀しみと戦い、たこつぼに潜み、塹壕を走り、引きがねをひいた。〈本文より〉
N-882
先の大戦では正規の戦史に名前が記されないまま散華した「無名戦士たち」が大勢いる。遺族も○○方面で戦死した等の情報しか知らないことが多い。本書は、彼ら「物言わぬ勇者」の慰霊と平和を願い、未だ明かされぬ謎を追い求めた渾身の実録記。国内外有志の協力と情報により、埋もれた真実が次々と発掘される。
N-883
たとえ逆賊の汚名をうけようとも管轄下の在留邦人四万の生命を守るため、ソ連軍と戦い、その責任を果たした指揮官の波瀾の道のりを描く—個々の作戦から終戦処理に至るまで、確固たる先見力と他人を思う心をもって指針を示した将軍の生涯。敗戦の暗闇の中でも人々の心を照らした男の姿をつづる感動の人物伝。
N-884
大戦末期、炸薬十五キロの五式撃雷をつけた五メートルの竹棒を手に持ち、深度五〜七メートルの海底に潜んで待機し、敵の上陸用舟艇に体当たり攻撃を行なう伏龍特攻隊—航空特攻の陰に隠れた恐るべき日本海軍の“兵器”の全貌を初めて描く話題作。戦後、米軍が詳細に調べた米海軍技術調査団極秘レポートを収録。 ※N-229の新装版
N-885
昭和十七年七月、旧来の海防艦を廃止し、船団護衛用の艦艇として位置づけられた「海防艦」―南方資源の輸送のための航路確保を担った一七一隻の海防艦は、その任を達成し得たか。駆逐艦を一回り小型にし、魚雷は搭載せず、砲、機銃、爆雷を装備した護衛専門の艦艇。大戦中、急速建造された新鋭艦種の全貌を描く。
N-886
戦闘機を操縦して一〇年余。日華事変、太平洋戦争と幾度かの壮烈なる空中戦を生きぬいた不死身のパイロットが綴った空の戦いの真髄―死線を越える瞬間、特攻指導教官となった苦悩の日々…、自らの飛行機乗りとしての宿命と真情を赤裸々に吐露する感動の陸軍航空戦記。『空戦 飛燕対グラマン』ダイジェスト版。
N-887
戦争になったら金鵄勲章をもらわなければ軍人ではないと思っている者がいる。功名を稼ごうという似非軍人だ。おれたちは手柄を立てるためにここに来たんじゃない―寡黙にして、自らの功を誇ることなく、常に先頭にたって部下を統率した飛行隊長。戦いに強い部隊を作り、その信条に生きた指揮官の生涯を描く。
N-888
一九四四年六月六日、Dデイ。決戦の火蓋が切って落とされた。パンター戦車のエースSS第二機甲師団「ダスライヒ」戦車長エルンスト・バルクマン、ティーガー戦車のエースSS第一〇一重戦車大隊第二中隊長ミハイル・ビットマンたちの必死の攻防戦。ドイツ軍戦線崩壊の絶体絶命の危機―戦車隊エースの奮闘!
N-889
政官財界のトップ・リーダーとして日本を支えた“短現士官”は、何を考え、どのように戦ったのか。難関を突破して、海軍二年現役士官となり、駆逐艦「照月」に主計長として乗り組み、南太平洋、第三次ソロモン、ガ島輸送作戦に奮戦す。乗艦沈没後、大本営海軍報道部で活躍した熱血士官が描く迫真の太平洋海戦記。 ※N-227の新装版
N-890
昭和動乱期の十数年にわたる軍事と政治の動きは、軍の「統帥権」を措いては語ることができない。統帥権の干犯に動乱は発火し、統帥権による政治の抑圧は昭和軍閥をして、その政治制覇をなさしめたのであるし、外には戦争につぐ戦争で、作戦に名をかる総帥の優越は、軍をして戦争政治における中核的存在たらしめた。〈まえがき より〉
N-891
日本陸軍に師団多しといえども、この師団ほど遠慮なく使われた師団は、他に、その類例がない―第五師団の編成は、各歩兵二個と連隊をもつ歩兵旅団が二個と特科〈騎・野砲・工・輜重〉兵の各第五連隊を基幹として、通信・衛生・野戦病院その他直轄部隊があり、戦時編成は常に二万人以上。最大規模の編成であった。
N-892
日本海軍八十年の歴史に名を連ねるアドミラルたちの起源から、編成、人事、給与、食事のメニューまで、イラストで綴る提督ものしり事典。
海軍士官の白い夏服の両肩には、階級を示す肩章がのっていた。海軍将官の場合、一寸七分、約五一・五ミリ幅の肩章中央に太く一本、一寸幅の金スジをベタッと走らせていた。これは、肩章面積の六割近くをしめる。海上の朝日、夕日に照らされたとき金の光をサンゼンと放ち、このあたり『ベタ金』の由来であろう。(本文より)
N-893
航空母艦を中心とした機動部隊の登場で、太平洋戦争の様相は劇的に変貌した。艦隊同士の戦闘は戦艦・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦のほかに空母の艦上爆撃機と艦上攻撃機も加わり、それまでに見られない激烈なものとなった。本書は実戦を体験した一整備員から司令長官までの生々しい手記と証言を収載。死闘の実態を描く。
N-894
スターリングラード、北アフリカ戦線と並び称される太平洋の激戦場・硫黄島。南北8キロ、東西4キロにわたる小島に展開された栗林兵団と米海兵隊との寸士をめぐる攻防戦を生存者の証言で辿った感動のノンフィクション。米軍の物量攻撃に対する日本軍の地下要塞戦の実状を詳細な図面で見る陣地要図3点を収載。 ※N-317の新装版
N-895
没後70年にその姿を現わした巨大戦艦―その秘められた生涯を直木賞作家が描く!……「武蔵」よく戦えり―圧倒的な航空機の力に押しつぶされながら、彼らはあくまでも、軍人として、また、人間としてふるまった。艦橋の見張員から艦低の機関兵にいたるまで、そして、少将の艦長から一等水兵にいたるまで、自己の本分を果たした。その姿は悲壮ではあるが、私はそこに、かぎりない雄々しさを感じる。〈本書 より〉
N-896
「万年三佐でもいいではないか」命ぜられた配置で自分に正直に精一杯努力し、そして気持ちよく定年を迎えれば―。水上艦艇の仕事と生活と苦労の汗…。……良介への内示は、呉を母港とする艦の艦長だった。この三浦半島の地に自宅を持ったのだから、当然のことながら単身赴任をしなければならない。しかし、それにしても、あまりにもタイミングが良すぎるではないか。昔から「家を建てると飛ばされる」とは聞いていたが、まさか自分がそれに当たるとは思わなかった。〈本文 より〉
N-897
在職日数2886日、歴代首相でもっとも長く重責を負い、日露戦争を勝利へと導き、戦後処理も成功裏におさめた生粋の軍人首相の手腕―つねに現在と近未来を見すえ、国家の行く末を憂慮し、国民のため最良な方策を模索し尽力した戦時宰相の業績。知られざる人間桂太郎の人物像を浮き彫りにした感動の意欲作。
N-898
ルソン北部の密林下、生死の境を乗り越えた一日本兵の過酷な戦争。マラリア、アメーバ赤痢が蔓延し、米軍の砲爆撃に晒された山岳地帯で最後まで戦い抜いた兵士の証言。……本書は私が生死の関門を、知らず知らずのうちに通過して生還する偽らざる戦場の報告である。生死の狭間が、紙一重の差だったと、後に知ることができるのは、生存者のみである。戦死者の遺族は愛しい肉親の最後を知ることはない。山中で草生す屍となった日本兵たちの無念を、後世に伝えるべく精魂込めて書いた―。
N-899
世界の海上戦力のバランスを保つためのワシントン軍縮条約が、皮肉なことにも空母の急速な発達を促すことになった。そして活躍の時に間に合わず、あるいは一向に見栄えもせず忘れ去られたような空母が出現した―列国の注目を集めた主力空母の陰に隠れて存在した異色艦を図面と写真で徹底解剖する話題の一冊。 ※N-514の新装版
N-900
軍紀に厳格、人間教育に一家言を持った名指揮官、山下奉文の葛藤とはいかなるものであったのか―太平洋戦争劈頭、シンガポールを陥落させ、栄光の頂点に立った稀代の将軍は敗戦後、最後の戦場フィリピンで刑場の露と消えた。優しさと残酷さを合わせ持つその人間性と戦場という極限における軍人の心理に迫る。